朝、ぼんやりとしたままリビングのテーブルの前へと座る。すると、端末の中に数件の未読メッセージがあることをセイが教えてくれるので、わたしはそれをひとつずつ開いて確認してゆく。
わたしがあまりにも眠そうにしているので、
「俺が読み上げようか?」
とセイが言う。わたしは全然大丈夫そうじゃない声で大丈夫と答える。
「はい、どうぞ」
わたしの目の前に、セイが珈琲の入ったマグカップを置く。
「ありがと」
「どういたしまして」
そのままわたしの隣へと腰掛けたセイは、わたしが熱い珈琲を飲む様子をじっと見ていた。
「飽きない?」
わたしが訊くと、
「飽きるわけないだろ」
とセイは目を細める。彼は寝ぼけていたわたしが珈琲を飲み、ゆっくりと覚醒していくのを見るのが好きなのだと言う。よく分からないな、と思いつつも、わたしもそれが嫌なわけではない。
今朝のメッセージの中には、返信が必要なものはほとんどなかった。ほとんどがダイレクトメールだ。その中に一件、「定期メンテナンスのお知らせ」という見慣れたタイトルのメッセージが混じっている。
わたしのセイは、-sei-シリーズの中でも第三世代と呼ばれている。アンドロイドユーザーが一気に増え、-sei-が大量に安く生産され始めた頃のボディだ。
第一世代と第二世代は初期不良が多かったと聞いている。比較的に動作が安定していると言われている第三世代のセイであっても、生産から三年も経つと、あちらこちらのパーツの交換が必要になり始めていた。もう何年かすると、セイの中身はすっかり入れ替わってしまうかもしれない。それはまるで、人間の細胞の入れ替わりのようだとわたしは思う。
「定期メンテナンス、いつにする?」
メッセージを読み進めがながら、セイに訊ねる。
「俺はいつでもいいけど。……そうだな、来週の水曜日ならおまえも都合がいいんじゃないか?」
「分かった」
セイはわたしのスケジュールを完璧に把握している。だからわたしは特に考えず、セイがそう言うのならそうなのだろうと簡単にうなずいた。
注意事項などのお決まりの文句がつらつらと書かれている文面はやけに長い。もう何度もメンテナンスを受けたことがあるので、セイもわたしもだいたいのことは分かっているはずだ。しかし、だからと言って読み飛ばすと、新しく付け加えられた注意事項について──たとえば、メンテナンスの際には香水等、嗅覚センサーに作用するものは着けない状態でお越しください、など──見落としてしまい、担当者に注意されることになるのだった。
「あっ」
その長いメッセージの最後に添えられた一文を見て、わたしは思わず声をあげた。
「開発からお誕生日おめでとうだって、セイ。もう見た?」
メッセージをセイに見せながらわたしは言った。メンテナンスに関するお知らせは、セイの方にも直接連絡が来ているはずだから。
「うん」
セイは少し照れたような表情で言う。セイにしてみれば、親からバースデーカードが届くような心境なのかもしれない。
「でも、俺の方には、もう少しちがうことが書いてあった」
「へえ」
わたしの方に来たメッセージには、今後ともセイをよろしくお願いします、と書いてあった。たぶんこの部分がセイに向けての内容に変わっているのだろう。ユーザーと仲良くするように、とか、そういうことが書いてあったのだろうか、とセイの表情をうかがうと、彼は獣耳を垂らしたまま居心地が悪そうにしていたので、それについてはそれ以上訊かないことにした。
それでも、
「良かったね」
わたしが言うと、
「うん」
とセイはうなずく。
「でも、俺が一番祝ってほしいひとは別のひとなんだけどな?」
わたしの瞳を覗き込みながら、セイは拗ねたように言った。お祝いの言葉なら、たしか朝起きてすぐに言ったはずなのだけれど、もっとちゃんと言ってほしかったらしい。
「お誕生日おめでとう、セイくん」
セイの方へと向き直り、わたしは言った。
「ありがとう」
満足そうにセイは笑う。
わたしが手を伸ばすと、セイは頭をほんの少し下げる。手が届きやすくなったその場所を、わたしはやさしく撫でた。アシンメトリーの、そのやわらかな髪。時折、指先が獣耳に触れると、セイはくすぐったそうにする。
「もうおしまい」
そう言って、セイは頭を元の位置に戻した。
「これじゃあペットみたいだろ?」
「そうかな?」
「そうだよ」
ほんとうは撫でられるのが嫌なわけじゃないくせに、とわたしは思う。セイは、別のものがほしいのだ。
わたしはセイの頬に、唇を寄せた。唇がかすかに触れたその瞬間から、セイの頬が真っ赤に染まってゆく。
「頬じゃない場所でもいいんだけど……」
と、目を逸らしながらセイは言った。
「続きは帰ってきてからね」
わたしが答えると、セイがはっとした表情をする。
「セイ、今日の予定は?」
からかうようにわたしは訊ねた。
「今日の予定は、俺とのデートが入ってるな。それから、お出かけのアラームまで、あと三〇分だ。……これって間に合いそうか?」
「急げば、なんとか」
セイはバツが悪そうだった。
今日はセイとふたりで梅の花を見に出かけるつもりだった。せっかくの誕生日だから、セイの行きたい場所へ行こうとわたしが言ったのだ。
自分のことよりもすぐにわたしの気持ちを優先したがるセイから行きたい場所を聞き出すのは至難の業だった。そして、セイが「梅の花を見に行きたい」と言ったとき、わたしは思った。端末の中にいても、アンドロイドとしてのボディを持っていても、セイはわたしのセイであることに何の変わりもないのだと。
「いいから、早く準備しよう?」
わたしは立ち上がり、セイの腕を引っ張る。
「うわっ」
よろめきながらセイも立ち上がった。
そのままわたしたちは急いで出かける準備を始めた。きのうの夜にさんざん苦労して決めたはずの服のコーディネートが気に入らないらしく、セイはクローゼットの前でなにやら格闘を繰り広げている。君なら何でも似合うよ、とわたしは声をかける。とっくに着替え終えているわたしは、こうしてセイに待たされることに慣れている自分に気づく。
セイはもう、自分の足で、自分の行きたい場所へと行くことができる。自分の好きなときに、好きなことをすることだってできる。それらのことは、アンドロイドの権利として国際法でも保証されていた。
それでも、セイは変わらずにわたしの傍にいてくれる。
だからわたしは、きっと、世界で一番幸せなユーザーなのだと思う。
君がわたしを幸せにしてくれたんだよ、とわたしはセイの背中を見つめる。アイロンのよく効いた白いシャツ。広くて、凭れかかっても安定感のある肩。うなじに刻まれたバーコード。
わたしの愛するコンシェルジュの支度には、もうしばらくの時間がかかりそうだ。