母が夜勤でいない夜、いつもセイくんがとなりにいてくれたことを、大人になったいまでも覚えている。
セイくん、というのは、わたしの家にいた家庭用アンドロイドの青年のことだった。仕事で忙しい母が買ってきたのだ。それ以降、家の用事のほとんどはセイくんの仕事になった。もちろん、わたしは突然やって来た彼にひどく驚いたけれど、存外すぐに馴染んだ。「セイくん、セイくん」と呼んで、なんでも彼に話した。
セイくんは、とてもやさしかった。
普段の夜、セイくんはリビングの片隅の椅子に座ってスリープモードで過ごしていたのだけれど、わたしが「眠れないの」と言うと、ちょっと困ったような顔をして、だけど必ず一緒に部屋へ来てくれた。
わたしの勉強机の椅子をベッドの傍らへと持ってきて、彼はそこへとかけた。
「おはなしをしようか」
と言って、どこからかインストールしたらしい子ども向けの物語を聞かせてくれることもあれば、
「最近はどんな調子だ?」
と、わたしの学校の様子なんかを知りたがることもあった。どちらにしても、なんだか子ども扱いされているようで不満ではあった。でも、それ以上にセイくんをひとりじめできることがうれしくて、まぁいいかと思えたものだ。
そうやってふたりきりの時間を過ごしながら、セイくんも一緒に眠ってくれたらいいのに、と思っていた。たまに母がそうしてくれるように、このままわたしのベッドで眠ってくれたら安心なのに、と。
実際にそう口に出して言ってみたこともある。けれども、セイくんはただ首を横に降るだけだった。安心・安全、そしていつでも適切な、アンドロイドらしいその横顔が少しだけ憎らしかった。
「お母さんじゃなくて、わたしにしたらいいのに」
と、だからわたしはあるとき言った。焦ったり、怒ったり、なんでもいいから彼の表情を崩したくて。
「わたしを好きになったら、いいのに」
セイくんが母を愛していることを、わたしは知っていた。母はセイくんを大切に扱っていたけれど、それが恋ではないことも。言葉としてそう理解していたわけではない。ただ彼が母に向ける眼差しが特別なものであることは、肌で分かった。
セイくんは驚いてはくれなかった。
「そうできたらいいのにな」
わたしの頭をなでながら、静かに笑うだけだった。その手の動きは母のそれとよく似ていたが、どういうわけか胸がどきどきした。そっと見上げた彼の顔は、小さなベッドサイドランプの明かりに照らされて陰影が深まって見えた。それは、見たことのない表情だった。男のひとの顔だ、とわたしは思った。
そのあと、自分が彼になにを言ったのかは覚えていない。たぶん、そのまま眠ってしまったのだろう。
うまく寝つけない夜には、決まって彼のことを思い出す。
アメジストの瞳、大きな手、ゆっくりと落ち着いたテンポで語られる物語。子ども用の椅子に、長い足を持て余すようにして座っていた、わたしの初恋のひと。
実家に帰ればあの頃を変わらずに「おかえり」と言ってくれる、母のアンドロイドのことを。