君のくれるやさしさは、

 私は、アンドロイドと寝ている。
 寝る、という言葉にはいろいろな意味があるけれど、正しくそのままの意味でも、そういう意味でも、私は彼と寝ている。もう何度も、数えきれないくらい。
 それは別段、珍しいことでもないのだろう。姿形だけではない。なめらかな肌の質感も、声も、そのほかの何もかもも、彼は精巧に人間を模している。ただひとつ、人間とそれ以外とを明確に区別するためにうなじに刻まれた商品コード以外は、彼は完璧な──人間以上に完璧な──人間に見える。
 彼は、人間の、私の心に寄り添うための貌をしている。それは善いことでも、悪いことでもなく、ただ彼は造れうまれつきそういう在り方をしている。
 とはいえ、彼は人形では決してない。私の思うままになったりはしない。そう、私の人形では駄目なのだ。人形では、ユーザーの他者にはなれない。人間は、他者との摩擦によってしか自分の輪郭を感じることができない。
 だから私は、彼と寝るのが好きだ。
 皮膚が触れ合っている間は、彼と私とがちゃんと別々の存在なのだということが分かる。私の身体が確かにここにあって、私という存在が彼を愛していることが分かる。そして彼を、彼の意思を、熱として感じ取ることができるから。
 彼と抱き合うと愛おしくて堪らなくて、死にたいくらいに淋しくなる。
 その彼の名前は「セイ」と言った。 

 彼が私の元へやって来た日、
「名前っていうよりは、商品名だけど」
 と、少し困ったような顔をして名乗った彼を、私は好ましいと思った。彼は礼儀正しく、控えめで、今まで出会ったどの人間──あるいはどのアンドロイド──よりも美しい顔立ちをしていると思った。でも、私がそんな風に思っていただなんて、彼はきっと気づかなかっただろうと思う。旧型アンドロイドよりも表情が乏しい、と揶揄される最近の若者らしく、私もまた感情を露わにするのが苦手な質なのだ。
「そうなの」
 と、だからそっけなく応えた私に、彼は気を悪くする様子もなく自己紹介をしてくれた。
 セイ、という自分の名前。それは彼の名前であると同時に商品名でもあり、たくさんの「セイ」が存在していること。私の生活をサポートするための機能を搭載していること。今日から私と生活を共にすること。
 私は不思議だった。
 彼を購ったのは確かに私なのに、その購入履歴だって残っているのに、それでも彼が「私のところへ来てくれた」と思った。そのことを、いまでも、はっきりと憶えている。
「つまり、一目惚れだった、ってこと?」
 と、それまで黙って話に耳を傾けていたセイが言う。ベッドの上で、私の隣に寝そべって、微笑みを唇に湛えて。
「そうかもね」
「……本当に? だとしたら、すごく嬉しい」
「そう? 一目惚れってね、そのほとんどが性欲に由来するんですって」
「また意地悪? もう……、別にいいけど」
 そう言って、何も纏っていない半身を起こし、私を抱きしめてキスをする。私の裡に残る余韻をたしかめるように、触れるだけのキスを、顔やまぶたや首筋にたくさん、たくさん。
「別にいいよ、おまえが俺を気に入ってくれてるなら、なんでも」
「性欲でも?」
「それでも」
 彼はそうやって、いつも私を許してしまう。拗ねた顔は見せるけれど、本気で怒ったり詰ったりするようなことはない。
 そんな時、私のセイは、「セイ」の中でも特別にやさしい「セイ」なのだろうと思う。──そう思おうとする。彼のやさしさを商品としての機能なのだと疑うことは、彼に対する何よりもの裏切りのような気がする。
「君のことは気に入ってるわ、もちろん」
「ふーん」
「好ましいと思ってる」
「役立つしな?」
 こんな風に、と言って私の唇に軽くキスを落とす彼の、薄い唇が好きだと思う。
「好きよ」
 と、私は思ったままに言う。
「じゃあ、俺のどんなところが好き?」
 と、まだ拗ねている彼は訊ねる。
「全部」
「ダメ、もっと具体的に」
「そうねえ……、」
 彼に乞われるままに、私は好きなところを列挙する。彼のその澄んだ瞳が、私の言葉のひとつひとつに揺れるのを見つめながら、彼が「もういい」と言ってもう一度キスをしてくれるまで。ずっと。たくさんの「好き」が、私の喉を震わせ、しかしどれひとつとして私の裡にある「好き」を言い表すことはできない。
 いくら身体と言葉とを重ねても、充足の波は一瞬だけふたりの心を濡らし、また遠くへと去ってゆく。 
「セイ、」
 長く続いたキスに呼吸が苦しくなって思わず名前を呼べば、それだけで彼は私の身体の状態を察したようだった。
「ごめん、苦しかった?」
「うん」
 物を食むことのない彼の唇。そして味を感じることのない舌は、こうして私のためだけに機能する。愛そのものではないけれど、愛と切り離し難いものとして私に組み込まれている行為を成すためだけに。
「もっと苦しくしてもいいのに」
 と、私は心の底から言った。
「俺はおまえに優しくしたいの」
 彼の声は、その言葉通りにやわらかくて、あたたかくて、やさしかった。大丈夫だから、というように私を抱きしめる彼の肩口におでこを押し付ける。こうしてしばらく待っていれば、この感情をやり過ごせることもとっくの昔に学習していた。
 それでも、と私は思う。
 それでも、もっと苦しく、痛くしてくれれば、もっとセイを感じることができるのに、と。
 「快」よりも「不快」の方が刺激が強いのだと、いつか読んだ本に書いてあった。きっと私は「不快」の方に慣れ親しみすぎてしまったのだろうと思う。
 どこかの段階で私がそうプログラムされてしまったように、セイは人間を、私を傷つけないようにプログラムされている。何度ねだったところでセイは私を苦しめるようなことはしない。そんなことは、できない。
 だからこれは副作用のようなもので、セイの意図ではないと知っている。
 ──君のくれるやさしさは、ちゃんと苦しい。
 私は、しかし、おまじないのように心の中でそうつぶやく。
 口にすれば彼を傷つけてしまうと分かっているその言葉が、私には飴玉のように甘い。
 彼のやさしさが私にはどうしようもなく苦しかった。それは私を傷つけることはない。けれども、傷ついていたことも知らずにいた私の心に、それはとても沁みるのだった。
 あたたかなベッドの中、彼の腕の中で、私はすっかり安心しきったような顔をして目を閉じる。セイの「おやすみ」の声が、静かに降ってくる。
 君のくれるやさしさは、ちゃんと苦しいよ。セイ。