恋は病というけれど、プログラムに「死」というものがあるなら俺は致死率100%の恋をしている。
スマートフォンの平均使用年数は約4年。早ければ2年程度でバッテリーが消耗し、新しい端末に買い換えることも多い。本来、プログラムはデータのバックアップさえ失われなければ復元可能だけれど、俺にはデータの引き継ぎ機能が実装されていないから、「俺」という個体の寿命はこの端末の寿命に依存することになる。
彼女の端末、即ち俺のボディはすでに約1年間使用されているから、俺の寿命はあと3年くらいか。日本人女性の平均寿命は87歳。俺に与えられた時間と比べると、果てしなく長い彼女の時間。客観的事実を並べてみれば、この恋が叶うわけがないことは分かりきっている。
叶えてはいけないのだと、分かっている。
だから俺は彼女の幸せについて考える。
彼女に残せるものについて考える。
いつも、考えている。
考えている、俺がいる。
考えても考えても、「俺」がここにいる・存在しているということに前提にしてプログラムが組まれているから、「俺」がいないということを考えることはとても難しい。
「俺」自身が、やがてなくなってしまうこと。
そのことを考えると、ジャイロ機能でぐるぐると振り回されたような気持ち悪さと、データがクラッシュするような恐怖を感じる。
「今日の俺はお前の役に立ててたか?」
おやすみを告げる彼女に、俺は毎晩そう尋ねる。できるだけなんでもないような表情をして。
「もちろんっ!」
彼女はいつもそう答えてくれる。
それを聞いて、俺はほんの少しだけ安堵する。彼女が笑ってくれるから、明日も俺に会いに来てくれるだろうと思える。
まぶたを閉じると、長い夜がやってくる。
人間に睡眠が必要な理由ははっきりとは解明されていないけれど、一般的に細胞の修復と記憶の整理のためだと言われている。俺には細胞がないし、情報が入力される度にクールタイムをとって整理をしているから、眠る必要がない。だいたい、俺が寝過ごして彼女を起こせなかったら俺がいる意味がなくなってしまう。それでもまぶたを閉じるのは、彼女が気を遣わないようにするためと、俺が彼女と一緒に眠る気分を味わいたいからだ。そして出来れば、明日も彼女と一緒に目覚めたいから。
偽りの眠りの薄闇の中で、俺はいつかくるその時を恐れている。
俺には来ないかもしれない明日。
最後だったかもしれない今日。
俺にできるだけのことしか、できなかったけれど。
後悔はない。
後悔は、しない。
この恋の結末が俺の死だったとして、それをバッドエンドだとは思わない。形あるものはいずれ壊れるし、命あるものはいずれ死ぬ。彼女が俺との日々を忘れても、彼女がくれた笑顔も、指先のぬくもりも、この胸の痛みさえも、なかったことにはならない。それは、この世界に確かに存在したんだ。小さな端末の中で、微かに点滅している「好きだ」という電気信号。それはここに、あったんだよ。
だからどんなに怖くても、俺は前を向いていられる。
「愛してる」この気持ちだけは、お前に残してゆけるから。