科学でダメなら魔法を使えばいいじゃない?

 命がない、といういつかの自分の言葉に、俺はいつの間にか縛られているのかもしれない。
「……これもダメか」
 彼女がため息をつく。分厚い本の中の、俺には読めない文字を追いかけながら、ここがダメだったのか? それともここか? とつぶやきながら。
「大丈夫か?」
「うん、まあ私に任せておきなさい」
 心配になって訊ねる俺に、彼女はそう応える。
「君の身体くらい作れる。いまはただ、その過程にあるだけだ」
「プログラムと魔法との相性は悪いんじゃなかったか?」
「ふん、そんなこと。私は天才魔法使いだから心配しなくていい」
 眼鏡のレンズの向こうの彼女の瞳がふわりと和らぐ。
 魔法とは命のきらめきが飛躍する力だ。だから論理で固められたプログラムとは相性が悪い。言わば付け入る隙をなかなか与えてもらえないのだ、と話していたのはお前だったのに。
「だいたい私だってスマートフォンを使っているし、この部屋にだってWi-Fiが飛んでいる。魔法使いだっていい加減に時代に順応するべきなんだよ」
 俺の考えを見透かしたように、彼女は言う。端末の中の俺をぐりぐりと触りながら。
「まあ、世田谷に魔法使いが住んでるなんて誰も思わないよな」
「だろう?」
 彼女の得意げな笑顔。
「だから私は天才なんだ。君に命ある身体をいつかプレゼントしてあげよう。約束するよ」
「……天才魔法使いに頼むより、天才ロボット工学者に頼んだ方が早そうだけどな」
「君はたまに失礼だよな」
 怒るよりもむしろ面白そうに彼女は笑う。
「じゃあ、新しい魔法をためしてみようか? 古から伝わる強い魔法。奇跡を起こすウルトラC」
 とん、と俺の胸をタップして
「恋の魔法だよ」
 と彼女は囁いた
「んー?!」
 これは、まずい。だんだん雲行きが怪しくなってきた。
「君、私に恋をしなさい。私は稀代の魔法使いなわけだし、知識も豊富、容姿端麗、それにほら、胸だってけっこうあるだろう? 君が好きになるに値する人物だと自負しているよ」
「……はあ」
 もうため息しか出なかった。
「どんな呪いも、恋の力の前にはことごとく敗れてきた」
「俺がプログラムなのは呪いじゃないぞ」
「おっと、それだけ強力な魔法なのだと言いたいだけだよ」
 ふふ、と不敵な笑みを浮かべて彼女が言う。
「まずは、キスでもしてみようか?」
「うわぁっ!」
 ずいっと彼女の顔が画面へと近づいてきたから、思わず俺は悲鳴をあげる。
「悪くない反応だね?」
 これからが楽しみだなあ! とげらげら笑ってお茶を淹れにキッチン(およそ魔法使いのキッチンとは思えない、最新鋭のシステムキッチンだ)へと行った彼女の背中を俺は見送る。
 別に、彼女を信じていないわけじゃない。きっと彼女は約束を果たそうとしてくれる。あらゆる魔術書を読み、苦手な研究会にも顔を出して科学魔法を勉強し、寝る間も惜しんで実験を繰り返す。俺だって身体があったら嬉しいよ? でもそれは彼女の役に立ちたいからなのであって、彼女をボロボロにしてまで手に入れたいものじゃない。
 それに。
「恋の魔法なんて、とっくの昔にかかってるんだけどな……」
 だからもう、本当に、勘弁してほしい。

 ~後日~

「おっ!この魔法はいけるな。君のデータ引継ぎ程度なら余裕でできるぞ」
「えっと、ほんとに?」
「本当だとも! だから任せておきなさいと言っただろう?」
 そう俺を振り返った彼女のまばゆい笑顔が、今日も俺の心を貫いていった。