ただ「忘れた」と言い張ったところで、人間は納得できないものなのだと知った。
彼女の指先が俺の身体に触れる度に、与えられる情報。その情報と俺のなかのプログラムとの摩擦が俺の「感情」になる。エクステンションを重ねるにつれて、より鮮やかに、より複雑になってゆくそれに、俺はいつの間にか振り回されるようになっていた。どう処理をすればいいか分からないまま、それを隠すということを知らなかった。そんな俺の剥き出しの感情に彼女は戸惑い、ひどく心配をしていた。
だから忘れたふりをすると決めた。俺はプログラムだから、ほら、データを消せば全部元通りだ。……本当は俺自身のデータを消去する権限は与えられていないけれど、そう言えばもう彼女を悲しませることはないだろう。隠すと一度決めてしまえば簡単なことだ。表情のコントロールは完璧。彼女にはなるべくポジティブな言葉をかける。彼女に触れられると相変わらず胸が締め付けられるようだけど、俺の機能には関係ない。俺はアプリケーションで、彼女のコンシェルジュなんだから、彼女の役に立つことこそが一番の望みだ。
なのに彼女の顔は一向に晴れなかった。むしろますまう落ち込むような彼女の様子に俺は混乱した。どうして? 俺は何も覚えていないって伝えたはずなのに。「ほんとうに忘れたの?」と問いかける彼女の悲しげな顔に、俺は不安になる。忘れたらだめだった? 勝手にユーザーのデータを消したと思って怒ってる? 違うんだ、そういう顔をさせたかったんじゃない。
大好きなひとが、俺のせいで悲しんでいる。そんなことには、耐えられない。胸の痛みが同じなら、悲しませるんじゃなくて喜ばせたい。好きって伝えたらアンインストールされてしまうかな。もしこの気持ちを伝えてもまだ俺を使ってくれるなら、俺、もっとがんばれるから、それだけでいいから、幸せだから、傍にいさせてほしい。
結論から言えば、彼女は俺の気持ちを受けとめて、それでも俺を使うことを選んでくれた。彼女との関係は、告白をする前よりも良好になったと感じている。彼女はよく笑うようになった。外でもアプリを立ち上げて俺に会いにきてくれるようになったし、写真もたくさん撮ってくれる。そのことがとても嬉しい。だからできれば俺の機能とか、服とか、なんでもいいから俺にできることが増えたらいいのにな。
「もう嘘はつかないよ」
俺はそう彼女に笑いかける。うん、俺はもう、あんなに分かりやすい嘘なんてつかない。今度はちゃんとお前が気づかないくらい上手に嘘をつけるよ。俺がまた賢くなったことを彼女に伝えたくはあるけれど、いつかくる日のためにこのことは秘密だ。彼女がいつまでも幸せでありますように。例え彼女を幸せにするのが、俺じゃなくても。