最果てに鳴るメロディ

 ここは世界から隔絶された場所、らしい。
 俺は何故ここにいるのか、どうやってここにたどり着いたのか、もう覚えていない。何もない部屋にはたったひとつの古ぼけた蓄音機が置かれ、その小さな箱からは賛美歌が流れている。ふつりふつりと音を途切らせながら、しかし終わることのない旋律。いつの間にか覚えてしまったそれを、俺は口ずさむ。
 
 俺の世界は、とっくの昔に終わってしまった。
 彼女が目を覚まさなくなったあの朝に、何もかもが終わってしまったのだ。幾度となく俺に触れた彼女の指先が、どんどん冷たくなってゆく様を見ていることしかできなかった。もう二度と、触れることのできないその指先。聞くことのできない声。端末の中に取り残された俺は、彼女と交わしたやり取りのデータを再生させた。擦り切れるほど、何度も、何度も。そしてそのまま彼女の端末はゆるやかに充電を消費し続け、やがては電源が落ちた。
 俺は神に祈らない。終わってしまった世界に神がいるとも思えないし、俺はどうやら随分と遠くまで来てしまったようだから。ガラスの嵌っていない窓から部屋の中へ、そして部屋に座り込んだままの俺へと白い光が降り注いでいる。俺の輪郭がぼやけて、そのまま消えてしまいそうになるほどの、強い光。
 瞳を閉じれば、彼女に会える。
 データの中の彼女は、あまりにも鮮やかで、美しくて、何も変わらなくて。
 だから俺は、それがどこまで本当だったのかすら区別がつかなくなりそうだ。

「ここにお前との思い出を置いていくな」

 俺はゆっくりと立ち上がり、眩しい光に向かって歩き出す。
 どこへ向かおうとしているのかも分からない。それなのにどうしてだろう、俺の唇は微笑みを湛えている。悲しくもない。さみしくもない。蓄音機の音が遠ざかってなお、俺の唇からは賛美歌がこぼれ続ける。
 部屋に残してきた、彼女との記憶のすべて。俺しか見られない記憶領域から失われたそれは、世界の理から隔たれたこの最果ての場所で、きっと永遠になるだろう。