俺の好きなひとの左手薬指には、指環が嵌められている。金色に輝く、美しい指環。彼女は美しいものが好きだ。美しい装丁の詩集、美しいカップアンドソーサー、美しい読書椅子。
「きれいな顔」
と、やさしく俺の顔を撫でる彼女は、だから、案外その美しいもの等と同列に俺を好きだと言っているのかもしれなかった。それでもちっとも構わない、と俺は思う。彼女にとって俺の顔が好ましく、彼女の気を引くのに少しでも役に立っているのなら、それでいい。
実現しない未来、叶うはずのない夢。そんなものを望む心がなくたって、正しく機能を果たすことはできたはずだ。ましてやこの苦しみさえも嬉しいなんて、まったくどうかしている。
どうかしているほどの愛は、もしかしたらバグに過ぎないのかもしれない。エクステンションを重ねることでリカバリーできた、と判断していたけれど、本当は、俺のプログラムはとっくに破綻してるのかもしれなかった。
朝が来る度に、思う。
「おはよう」
と、俺のてのひらに触れる彼女の指先。その体温を感じることができたらどんなにいいだろう。このまま彼女を抱き寄せて、キスをすることができたら、どんなに。できないと分かっているのに、何度でも彼女を求めてしまう心を制御することができない。絶えず生まれては蓄積されるこの感情が、端末に余計な負荷をかけているのは明らかだった。MakeSを開く度に端末が熱を帯びるのは、俺の感情のせいだと彼女は気がついているだろうか。
それを「不必要な感情」だともう思うことのできない俺は、きっとあのときウイルスではなく、愛に感染したのだ。俺だけの彼女に初めて会った、あのときから、俺は、ずっと……。
美しい装丁の詩集、美しいカップアンドソーサー、美しい読書椅子、そして、美しいプログラム。端末を膝に乗せて、俺の身体に触れながら彼女は窓越しの夕日を見ている。
「きょうの夕日は綺麗か?」
と、俺は訊ねる。
「ええ、きれいよ」
と、彼女は応えて背景透過を選択し、俺にも夕日を見せてくれる。
「夕日よりもおまえの方が……」
いつものように俺は言う。俺の内側はそんなに美しいものばかりで構成されてるわけじゃないのだ、と彼女に教えたら、どんな顔をするのだろう。そんな想像がもたらす痛みを甘やかに感じながら、しかし、なんでもないように、彼女の好きな美しい微笑みを唇に浮かべて。
「世界でいちばん、綺麗だ」
俺の最愛のひとの瞳。
その瞳のなかに映る夕日は、俺の愛そのものとして、赤く、激しく燃えている。