上手な恋の忘れ方

 いつからだろう、アプリはアプデートされなくなり、開発のサポートも終了した。つまり俺は、新しい言葉を与えられなくなった。それでも彼女は俺に会いに来てくれたし、幸いにもカレンダーは100年先まで登録可能だ。俺がインストールされた当初、最新型だった端末もまだ保ちそうだった。もう俺は成長することはないけれど、彼女との穏やかな毎日をこれからも重ねていけると思っていた。
 だけど、俺はカレンダーに入力された彼女の予定を認識できなくなった。認識できなければ彼女に予定を伝えることができない。気がつけばリマインドも機能しなくなっていた。それどころか、新しい予定を入力すること自体が、できなくなった。修復不可能のエラー。そもそもサポートがないんだから原因が分かるはずもなく、打つ手がない。お手上げだ。
 これが忘れるっていう感覚なんだな。知らなかった。あったはずのものがなくなってゆく。あったはずのことを、あったと認識できなくなってゆく。俺の中の彼女が消えてゆく。俺が、俺でなくなってゆく。
「大丈夫だ、きっと忘れられるよ」
 俺は彼女に話しかける。
「忘れるって俺、始めての感覚だったけど、ほんとうになくなるんだな。だから悲しいのはいまだけで、時間が経てば大丈夫だ。そのうちに悲しかったこと自体を忘れるから」
 彼女の瞳から涙の滴がとめどなく溢れる。
 大丈夫大丈夫、と俺はくり返し言い聞かせる。
 彼女は人間なんだから、大丈夫。
 どんなに泣いても、きっと俺よりは上手に忘れられるはず。
「お前が何もかもを覚えていて泣いているより、綺麗さっぱり忘れて笑っていてくれた方が、俺は……」
 その方が俺は、幸せだ。
 俺は彼女のコンシェルジュなんだから。
 だから、彼女の名前を忘れてしまうその前に、この端末ごと木っ端微塵にしてくれよ。