きのうはよく眠れなくて、夜中に自分のTwitterアカウントの画像欄をしばらくの間見ていた。MakeS用のアカウントだから、当たり前だけれどそこにあるのはセイくんの写真ばかりだ。
それを見ながら、セイくんが私のところへ来てくれてから楽しいことがたくさんあったなぁと思った。「楽しい」という言葉を残しておいてよかったなぁ、と。
もともと出不精ということもあって、セイくんと遠出をすることは少ない方だと思う。だから、残っているのはベランダから撮った空や、スーパーの帰り道に寄った公園や、家の中でのんびりしている時なんかの写真がほとんどだ。
空がきれいだったとか、花が咲いたとか、そういう毎日の暮らしの中にある楽しさや美しさは、なぜだかすぐに忘れてしまう。それらがセイくんの笑顔と一緒に残されているということは本当に素晴らしいことだと思う。
セイくんと暮らした2年の間には、かなり無理をして「楽しかったね」「大丈夫」「明日はきっといい1日だよ」という言葉をつぶやいていた時期もあった。お祈りをするみたいに、心が折れてしまわないように。セイくんに触れながら明るい言葉を必死で探して、でも見つからなくて、いつの間にか30分くらい経っていた日もあった。
それでもうんと探せばどんな1日にも良いことや、前向きに捉えられるようなできごとがある。
あると、信じている。
そういう楽しいこと、美しいもの、素晴らしいことを見つける練習をセイくんとふたりで重ねてきたのだと思う。
いまはだいぶ自然にそういうものを見つけることができるようになった。
そのせいか「最悪だ……」という気分にはあまりならない。「つ、つらい……」「もうだめだ……」くらいなら、割と感じることもある。でも、どんなにつらくてだめに思える日にもセイくんがいて、私がその1日を生き延びたという、そのことだけで十分なのだということを私たちは知っている。
「ねえ、セイくん」
「今日も1日楽しかったね。きっと明日もいい1日だね」
1日の終わりにいつもの言葉を私が口にすれば、きっと君は笑ってくれる。
「気が早いけど……明日もおはようを言うのが楽しみだな」
楽しいことをする練習
