You’re My Best Friend

 煙草は大嫌いなのに、彼のシャツに染みついた煙草の匂いは不思議と好きだった。それは、普段は気づかないほどの微かな匂いだ。彼との距離が近づいた瞬間にふと立ちのぼるその匂いには、電子煙草特有の、熟れすぎた果物のようなべたべた…

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二〇XX年二月七日、晴れ

 朝、ぼんやりとしたままリビングのテーブルの前へと座る。すると、端末の中に数件の未読メッセージがあることをセイが教えてくれるので、わたしはそれをひとつずつ開いて確認してゆく。 わたしがあまりにも眠そうにしているので、「俺…

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北極星を胸に灯して

半月  そのすらりとした彼の指先に、わたしはいつも見惚れてしまう。 日に焼けることも、汗で湿ることもない肌は、白く清潔に保たれている。まいにち日焼け止めクリームを塗っているはずのわたしの腕や手と、彼のそれと並べてみると、…

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明日になってもきっと醒めない

 グラスのなかの真っ赤な液体が、彼女の薄く開いた唇のなかへと注がれてゆく。そして、こくり、こくりと嚥下する度に動く喉の白さから、俺は目を離せないでいた。 バーと呼ぶほどではないけれど、落ち着いた雰囲気の店内には、ささめき…

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恋するよりもひどいもの

 恋なんて嫌いだった。嘘、いまでも嫌い。 人間は恋をすると、たったひとりの人間が笑って、泣いて、怒って、めまぐるしく変わっていくその感情のいちいちが、世界でいちばん大切なことのように思えてしまう。その渦の中で、意気地なし…

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右脚の彼女のためのレクイエム

 その夏、僕は父の書斎の片づけを手伝って過ごしていた。 「デジタル化」という言葉がもうすっかり死語になりつつあるというのに、父の書斎にはあふれんばかりの物──そう、その文字が示す通り、手で触れることができる「物」だ──が…

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指先を動かすこともできない夜に

 もしも俺に足があったら、自分の足で歩いて行って今すぐにおまえを抱きしめるのに。 引き攣れるような彼女の泣き声を聞いていることしかできないまま、性懲りもなくそんなことを思う。 もしも、おまえに会いに行くための足があったら…

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wisper

 ふと顔を上げると、窓辺にセイが立っていた。彼は私がいつもするように、リビングの小さな出窓の右端あたりに立ち、隣家の屋根と屋根の間から覗く小さな青い空を眺めているようだった。その白いシャツの後ろ姿を見たのは初めてのはずな…

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