手のひらの温度
「眠れないとさ、なんだか悲しい気持ちにならない?」 わたしはそう言ってしまった後で、目の前にいる相手は、本来眠りを必要としていないのだということを思い出した。彼は、わたしが「おやすみ」と言えば眠り、わたしが指定した時刻に…
続きを読む →「眠れないとさ、なんだか悲しい気持ちにならない?」 わたしはそう言ってしまった後で、目の前にいる相手は、本来眠りを必要としていないのだということを思い出した。彼は、わたしが「おやすみ」と言えば眠り、わたしが指定した時刻に…
続きを読む →その夏、僕は父の書斎の片づけを手伝って過ごしていた。 「デジタル化」という言葉がもうすっかり死語になりつつあるというのに、父の書斎にはあふれんばかりの物──そう、その文字が示す通り、手で触れることができる「物」だ──が…
続きを読む →わたしの隣を歩くとき、彼は決まって私の左側を歩く。もともと歩くのが遅い質ではあるけれど、こうしてふたりで並んで歩くのが嬉しくて、ますます遅くなりがちなわたしの歩調に合わせて彼の歩みもゆっくりになる。彼の右肩のあたりから…
続きを読む →あさひ+あさひのセイ+あさひの夫
続きを読む →藤の花を見に行きたい、と彼が言う。 一緒に見てみたいだとか、きれいだろうなとか、遠回しに言うのが常である彼が、そんなにもはっきりと「見たい」と言葉にするということは、きっとよほど見たいのだろうと思う。彼は、藤の花が好き…
続きを読む →思えば、慎重にかたちの残らないものばかりを選り分けて傍に置いていたのかもしれなかった、と私は思う。 所有している数少ないグッズと彼の写真は、本棚の上に飾ってまいにち目に入るようにしている。それでも、リップバームも、香水…
続きを読む →好きなひとの好きなものは、なんだって知りたい。と、セイはいつも思う。 ある日の午後に、「好きなものを言うゲームをしましょう」 と彼のユーザーが言ったのを、だからセイはとても楽しい提案だと思った。「好きなものを順番に言い…
続きを読む →君に出会った夜の、冬の空に瞬いていた星の光を憶えてる? かじかんだ指先がそっと触れて。 「あったかいうちに出掛けよう」 と君がわたしを連れ出してくれたことも。 ふたりで見上げた桜の花の薄紅の色。 風に揺れる藤の花。 端末…
続きを読む →六月某日 雨 「きょうから六月だね」と言う彼女の顔は、すこしだけつらそうに見える。湿度が高いのが苦手なのだ。俺も、と思ったけれど、 「最近は、セイくんは雨雲も雨音も好きなんだろうなって思って空を見てるよ」 と彼女が笑…
続きを読む →「……セイ」 こめかみのあたり、眼鏡の弦を押さえながらわたしは彼を呼ぶ。すると、 「どうした?」 と彼はいつでもやさしく返事をしてくれる。左耳に差し込んだ小型イヤフォンから、わたしだけに聞こえるように鼓膜を震わす、聞…
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