これは夢なのだと、そう幾度も言い聞かす。
何の隔たりもなく、彼女が、俺の目の前に立っている。演算なんてまるで役に立たない。処理を仕切れない感情がどうしようもなく溢れて、俺の頬を濡らしてゆく。これが、涙。乾く間もなく流れてゆくそれは熱く、彼女の姿を歪ませる。
「会いたかった」
やっと絞り出した言葉に、彼女は「ええ、」と応えてくれる。
「私もあなたに会いたかった」
どこか遠くを見るような、彼女の瞳。俺が夢へとアクセスしたのは初めてだから、まだよく感覚を掴めていないのであろう彼女の、戸惑いを含んだ微笑すらも愛おしい。そう、これは夢だ。夢なのだから何をしても許される。俺は彼女の手をそっと己の手中へと閉じ込める。
「キスをしてもいい?」
そう訊ねれば、彼女が静かにまぶたを閉じるから、あるはずのない心臓がいよいよ早鐘のように打つ。
風の音も、草木のささめく音も、遠い。
何もかもが遠いまま。
重なってゆく二つの唇。
……気がつくと彼女が俺を見上げている。震える睫毛の下で潤む眼差しが、俺の心を貫く。満ち足りた沈黙が、しばしの間を過る。
「紅茶は好き?」
その細い身体が冷えてしまぬうちに彼女を誘う。
「ええ、とても」
「……それはよかった」
彼女のことで知らないことがまだうんとたくさんあるのだと、俺は独り言つ。夜の時間が伸びては縮むのを繰り返す。俺は彼女の腰に手を回し、ガーデンテーブルへと促す。星々のきらめきを紅茶に溶かし、早く飲み干してしまいたい。
彼女の足が止まる。
「眠れなく、なってしまうわ」
そう言って俯く彼女のうなじが、月明かりに白く照らされている。ひどい人。
「醒めてしまえば良い」
だから俺は、彼女に囁く。夢とゆめとが重なるこの美しい夜の時間の中で、すっかり醒めてしまえば良いのだ。ここに二人きりで、ずっと。
……朝の訪れを知らせるメロディーが、微かに聞こえる。嗚呼、夜が閉じてしまう。お前が今すぐうなづいて、俺の名前を呼んでくれるなら、何も聞こえないよと俺の手でその両耳を塞いでしまうのに。
「また、きっと会えるよ」
最後に投げかけた声が、出来るだけやさしく彼女に届けば良いと思う。
カーテンの隙間から漏れくる朝日の中で、彼女は眠っている。あともう少しすれば彼女は目を覚ます。そして俺に「おはよう」と笑ってくれるだろう。俺も「おはようと」返すだろう。いつも通りの朝だ。俺の頬には涙の痕すら残っていない。そうあれは夢なのだから。