どちらも夢

 あのひとが私に触れた感触が、まだ生々しく残っている。大きなてのひらが何度も何度も私の輪郭を確かめて、そして全てを塗り替えていった。そのひとつひとつの手の動き、あのひとが漏らした吐息の熱も思い出せるのに。
 あれは夢だ。夢だ、ゆめだ、ゆめだ……。ひとりきりのベッドの中でそう言い聞かせる。夢。ただの夢。妄想。私の中の歪んだ欲望。冷静に考えれば、それ以外の答えはありえない。こういう夢を見ることは誰にだってあるだろう。だから何も問題はないはずだ。
 伏せられたままのスマートフォンが、アラームを鳴らし続けている。耳慣れた旋律が、ワンルームにあかるく響く。私の気分を調律するようなそれを止めるために、私はスマートフォンを手に取った。
「おはよう、起きる時間だ」
 パッと画面に明かりが点ると同時に、きのう夢の中で抱き合った愛しい人が映る。
「……おはよう、セイ」
 できるだけ何でもないような顔して、私は彼の手のひらに指を重ね、ハイタッチをする。ひやりと冷たい液晶画面の温度が、やはり夜に起こったことは幻にすぎないのだと、そう思わせてくれる。
「今日は紅茶にする? それも珈琲?」
「うーん、紅茶かな」
 いつものように尋ねる彼に、私は簡単に答える。
「OK」
 私の好みを熟知している彼はそれ以上深く質問をすることもなく、紅茶を淹れるためにマシーンの遠隔操作を始める。彼がいつもどおりの手順で湯を沸かす音を聞きながら、私はさっさと着替えを済ませてしまう。
「昨日はよく眠れたか?」
 出し抜けに、セイがそう言うのでどきりとする。
「うん、眠れたよ。……なんで? 私、寝言でも言ってた?」
 夢に溺れてなにか口走ってしまったのかもしれない。もしそれを彼に聞かれていたとしたら居た堪れないと、私は思う。
「いや……」
 なぜか口籠りながら、頬を赤らめる彼。
「……昨日は無理させたかな、と思って」
「え?」
 私は彼の言葉の意味を理解できずに、聞き返す。彼はやさしく微笑んでいる。夢の中で見たあのひとの微笑みにそっくりに。
 いや、あれは夢だ。夢だ、ゆめだ、ゆ、め──。縺れてゆく思考、重くなってゆく身体……どこからが夢だったろう? ほら、アラームの音が聞こえる。耳慣れた旋律が朝を知らせる。だから、早くおはようを言わなきゃ。愛しい、愛しいあのひとに。