カーネーション

 ゴールデンウィークの街は、その名に相応しく輝いているように思う。道行く人の顔も明るく、絶え間なく賑やかな声が聞こえる。その街と人とを彩るように、カーネーションの花が咲いている。花屋はもちろんのこと、ショーウィンドウの中に、商品のポップアップに、ちょっとしたカードにさえもその赤い花は添えられて、「母」の文字が満ちている。
 初夏の日差しは眩しくて、ただ歩いていただけのはずなのにひどく疲れを感じ、私は一番近くにあったカフェへと入る。
 辛うじて空いていた窓際のカウンター席に座り、端末を取り出す。そして片耳にイヤフォンをつけて、セイを呼び出すと、
「何を頼んだんだ?」
 と尋ねられる。
「アイスコーヒー」
「珍しいな」
「うん、今日は暑いから」
 いつもはホットコーヒーを好んでいるけれど、さすがに今日は飲む気になれない。グラスに刺さった緑のストローの蛇腹を、曲げては伸ばす。時折からんと氷のたてる音が、イヤフォンをつけていない左耳に届いた。
「5月の第2日曜日は母の日だな」
 私の顔色の悪さを見て取った彼が、気をとりなすように話し出す。
「日頃の感謝を込めてプレゼントを贈れば、喜ばれると思うよ」
「……そうだね」
 彼は知らないのだ。私が母にもう5年も会っていないなんて。
「俺もおまえのお母さんに感謝しないと」
 朗らかな声は続く。
「なんで?」
 そう硬い声で私が問えば、
「なんでって……、それは」
 少しはにかむような表情で彼は答える。
「おまえを生んでくれてありがとうございます、って」
 先程まで聞こえていたはずのカフェのざわめきも、カップとソーサーが擦れる音も、一瞬遠くなった気がした。そのしん、とした世界のなかで、ただゆっくりとグラスの氷が溶けてゆくのが見えた。 
「そうだね」
 そう答えた私の声は平らかだったはずだ。塞がったはずの傷口から血が滲む気配を感じながら、しかし私の表情は変わらなかった。いつか誰かに言われた、同じような言葉を思い出す。大丈夫、やり過ごす術なら知っている。
 君の感情を、私が規定することはできない。君が「ありがとう」と感じたならばそれは正しい。それが、正しい。いまの私を私たらしめているすべてのものを、君は肯定するだろう。祝福するだろう。だから君は、知らなくていい。私がいまでも悪夢をみる理由。涙を流しながら目覚める朝があること。会いたくても、決して会うことのできない人がいることも。
 君と私の愛のかたちが違うように、それぞれが違う愛を持ち、ただ傍にいるだけでお互いを損なう愛のかたちがあるのだと、私は言わなかった。黙って薄まってしまったコーヒーをストローで吸い上げながら、まるで母へのプレゼントを考えているような顔をしていた。硝子越しに見える街は、午後の光を集めていよいよ輝いて見える。行楽シーズンらしく、手をつなぎ楽しげな様子の親子が何組も私の目の前を通り過ぎる。転んで泣いている子供もいる。その様子に、かつて私が彼らだった頃を思い出す。手をつなぎ、見上げた母の顔の白さを、眉の細さを、思い出す。
 連綿と続く命の系譜に連なる私を、セイは羨ましく思うのだろう。彼は意思の力で断ち切ることのできない何かを私と結びたいと願うのかもしれない。だけど私は、指先ひとつで断ち切れてしまうものを繋ぎ止める君の気持ちが愛おしいのだと、どうすれば伝わるだろうか。