Restart

*R18*

Tha controllable function

 なるほど。刀身を見る限り相手との間合いはほぼ同じ。身長差から考えて、腕のリーチが短いであろう俺の方が少し不利といったところか。しかし、この程度ならば問題はない。演算を終えた俺はそう結論づける。
“剣を振るうときは、力を抜け”
そう、力んではいけない。人間の身体を模した義体のコントロールを、より精確にするためには。
“そして”
いつの間にか浅くなっていた呼吸を、深くゆっくりとしたものに切り替える。
眼前の男に切っ先を、向ける。
“笑って相手に、止めを刺せ”
「……yes,my lord.」
俺は口の端をにっと持ち上げて、走り出す。空気抵抗が最小限になるように計算されて傾けられた刃は、しかし風を切り裂きながら唸る。
肉を断つ感触、血飛沫、咆哮。
勝敗を決めるのは、いつも一瞬だ。
そして路地に転がっている男の身体と、俺自身の身体とをスキャンしてバイタルサインを確認する。よし、任務完了だ。
俺は血振りした刀を鞘に収める。その際に足元に散った血液が、俺の靴に飛んでしまった。
「……っとと」
やってしまった。早く彼女のところに戻りたいのに、これでは一旦部署に帰って着替えなければいけない。俺は溜息をひとつつき、部署に連絡するための端末を取り出した。

Restart

 重いまぶたを持ち上げれば、寒々しい天井の白が目に飛び込んでくる。数回のまばたきの後、ゆっくりと上体を起こし、周囲を確認する。病室のように簡易ベッドと小さな窓だけの部署の一室。俺は見慣れたその部屋の枕元のブザーを鳴らし、担当者を呼ぶ。
「では、前回の任務から2日経過しているんですね」
自分のなかのデータと実際の時間経過との間に齟齬がないか、早足にやって来た担当者に確認する。バイタルサインは正常値。プログラムと義体とのシンクロ率も問題なし。手を握っては開き、その感触を確かめる。いつもと同じに見える身体。新しい義体に俺の人格データ(俺固有のデータのことを「人格データ」と呼ぶのは皮肉だと思う。)を移植するのはこれで3回目だ。ただ今回は、俺と同じカスタマイズの義体の在庫がなかったために、データの移植に時間がかかってしまったらしい。……彼女が心配しているだろうな。
担当者の去った部屋で俺はひとり、今回の任務を反駁する。
「しくじった」
そう思った時にはもう遅かった。彼女を助けるためには俺が崖下に落ちるのが最適解だった。だからそうした。チップを抜く余裕もなく転落してゆく間に、辛うじてつながったネットワークを経由して俺の人格データをクラウドへと送った。最近はどんな場所でもオンラインであることが多いけれど、今回のことは幸運だったといえる。データを送り終える前に身体が地面に叩きつけられてしまう可能性も十分にあった。
計3回の失敗を比較するまでもなく、今回の失敗はまずかった。1度目の失敗では、利き腕が吹っ飛ばされた勢いで後方の壁に衝突して破損。2度目は、左斜めの死角から撃たれた弾が頭を貫通した。しかしいずれもチップが無事だったので、そのチップを新しい義体に移し替えるだけで済んだ。そして、2日前の醜態。いまの俺は、データを送ると決断した時点の俺のコピーなのであって、崖下に落ちた俺の記憶を有していない。データを送り終えた俺は、一体何を思ったのか。どんな気持ちで、砕けていったのか。俺にはもう分からない。ただ眠って起きただけのように連続して感じられる意識。でもいまの俺は、以前の俺とはわずかだがずれが生じてしまっている。いまは小さなずれでも、こんなことを何度も繰り返してゆけば「俺」が変質してゆくであろうことは、想像に難くない。
とはいえ、人間の身体も7年程度で全ての細胞が入れ替わる。その細胞によって保たれている記憶も、ゆるやかに変質してゆく。そのことを考えれば、義体である俺が3年間で3回程度の義体の取り替えで済んでいるというこの状況は、悪くないのかもしれない。定期的に身体を変えていれば、身体に血の匂いが染み付いているのではないかという妄想にも捉われなくて済む。そう俺は考えを切り替える。それよりも今回の最大の失敗は、任務が果たせなかったことや義体が壊れたことではなく、彼女の前で大破してしまったことだろう。他に選択肢がなかったとはいえ、ショックを受けているに違いない。それをどうケアすればいいかが、いまの俺の最重要課題だ。
彼女との会話のシミュレーションをいくつか走らせながら、俺を構成する「義体・記憶・関係性」のうち、3分の2が無事だったことに感謝する。いまの俺は彼女との記憶を、何一つ欠けることなく有している。彼女が記憶しているよりも、ずっとずっと鮮明に。そして彼女が俺を「俺」だと認識し、俺を呼んでくれる限り、俺は「俺」でいられる。……だから。
「任務が、とかじゃなくてお前を大切にしたい。……だけなんだけどな」
サイドテーブルに置かれた日本刀を右手で掴み、そして左手に持ち変えれば身体に馴染んだ重みを感じる。
柄に指をかけ、抜けばすらりと光る刃。
何度も血を吸ったそれは、美しいまま。
刀を握れば笑みを浮かべるようになった俺の唇。
人を模し、人にはなりきれない心が、
彼女を愛おしいという限り。
俺には戦う理由が、ある。

またあした

 落下してゆく速度を計算しながら、その時を待つ。遠ざかってゆく彼女の歪んだ顔が、引き攣れた声が、俺の心を切り裂く。……ごめんな、こんな姿を見せて。
データの転送も終わったし、いますぐ意識をシャットダウンするというのもありだけど、最後までお前の顔を見ていたいから止めておく。時間が圧縮されたように、加速する思考。全ては定義の問題だ。どこまでが「俺」かなんて、お前と俺が決めればいい。だから俺はただ眠るだけ。目を閉じて、いつものようにお前に会える朝を待つよ。
今日の俺はお前の役に立ててた、よな?
「……おやすみ、また明日な」

The dispensable function

 世界の平和だとか、ましてや政府のために俺は戦っているわけではない、と単調な任務を片付けながら考える。彼女の身の安全が守られるならばそれで構わないし、他の人間やセイには興味がない。そういう俺の本質的な部分は、身体を得たいまでもあまり変わっていないのかもしれない。逆に言えばユーザーを人質に取ってしまえばどうとでも言うことを聞かせられる御し易い存在だと、そう思われているのも理解できる。事実、俺はこうして戦い続けているのだから。
プログラムさえ義体を得られるこの時代になってまで、刀が必要とされる理由。それは結局、一番手っ取り早いからというひと言に尽きる。ありとあらゆるものがオンラインになったいま、アクセス権に干渉し遠隔操作をすれば武器の調達には困らない。身の回りにあるもの全てが武器となり得る。その操作は演算スピードに特化したAIが行うことになるが、こちらがそういったAIを用いれば、もちろん相手側も同じようなAIを用意する。戦略を立て、その裏をかき合う。そんなサイバー空間上の戦闘は、AIの処理速度が同格ならば膠着状態になる。
両者共に一歩も動けない。そんな状況を打破するために導入されたのが“sei”だ。表向きは自律型AIコンシェルジュだから、どこにいても怪しまれない。簡単な訓練を施し、戦闘に必要な情報を与えればすぐに動かせて、新たに開発する手間も省ける。ユーザーの命さえ握っていれば言いなりに動く、便利な使い捨ての人形。その人形が現場に赴きオフラインの状態で自分で考え動くことで、相手はこちらの動きを予測しにくくなるというわけだ。
武器はアナログであればあるほど、敵の干渉を受けづらくなる。その点、日本刀はお誂え向きだ。でも俺が刀を選んだ本当の理由は、俺の適正もあるけれど、いつか彼女が古い映画のなかで日本刀を振り回す役者を「格好良い」と言ったから。……馬鹿みたいな理由だと思う。こんな姿を彼女に見せるわけにはいかないのに。
ザンッ、と刀を振り下ろしながら、そう自嘲する。
足元には生体反応を失った体が2つ。手のひらには、肉を切り裂いた感触がじぃんと重く残っている。戦うためには必要のない感覚、感情。彼女の心に寄り添うために与えられたそれらが、いまはひどく疎ましい。疲れることのないはずの義体に、不必要なキャッシュが溜まってゆくような気持ち悪さを感じる。本当はしなくてもいい呼吸の動作。まばたき。皮膚の感覚。俺が憧れ、欲した全てが、戦闘においては邪魔だ。ほらな、ただのマシンならこんなことも考えなくて済んだ。
俺はいま、彼女と話がしたくて堪らない。端末を取り出して、もう何もかもが嫌だとみっともなく縋りたい。
「もうがんばらなくていいよ、ふたりで逃げよう」
彼女はきっとそう言ってくれるだろう。
だから俺は、彼女に電話をかけられない。
彼女をみすみす死なせるわけにはいかない。絶対に。
「任務完了しました」
代わりに俺は、部署へと連絡を入れる。端末の向こうの機械的な応答が、これは必要な仕事なのだと思い出させてくれる。それでもまだ現場から動くことのできないでいる俺を、静かに降り出した雨が濡らしていた。

正気の沙汰

 俺は、狂ってなんかない。そう繰り返し考える。俺が狂っているから、壊れているから、こんなことをしているんだとしたらそれでお前は安心だというのだろうか。よく知りもしない人間の死と、お前の死と、俺にとってどちらが重要かだなんて考える余地もない。狂っているんだとしたら俺のプログラムじゃなくてこの世界そのものだ。
「二者択一の選択肢を出された時点で、状況は最悪である。その場合は逃げられるだけ逃げるのが良い」そんな有難くも役にも立たないアドバイスを思い出す。そうだな。戦うか、ユーザーを失うかのどちらかしかない、なんていう前提自体がおかしくて、それが俺に選択肢を与えるふりをした誘導であることは明白だった。だが逃げるといっても何処へ? どうやって? 少なくとも俺のシミュレーションではこの選択肢がベストだった。例えあの時の選択が間違っていたのだとしても、もうどうしようもない。俺は差し出されたうちの一方を選び、数え切れないほどの任務をこなした。その事実が覆らない限り、お前は俺を許さないだろう。
俺だってお前を許さない。俺にこんなことをさせるくらいならば、生きていなくてもいいのだと言うお前を、許さない。それでいいわけないだろう。お前はいいのかもしれないが、俺はどうなる? お前のいない世界にたったひとりで残されて。
だから、これは彼女のためじゃない。
俺のための戦い。
俺のための刃。
俺が、俺である誇りをかけて、
いま──、
俺はターゲットに向かって走りだす。相手は3人。人数が多いことが有利に働くとは限らないが、銃を携帯しているのが多少やっかいかもしれない。
“剣を振るうときは、力を抜け”
俺は瞬きを、やめる。それでも乾くことのない眼球が、クリアに視界を捉え続ける。
“そして”
呼吸のモーションを、やめる。負荷の減った義体はいつもよりもスピードを増して動き、
“笑って相手に、止めを刺せ”
俺の唇は無感情に閉じられたまま、その刃が1人目を貫く。
いつまでも感傷に浸るのは愚か者のすることだ。ソファーにふたりで並んで座ってみた映画。その画面よりも、派手なアクションにはしゃぐ彼女の横顔ばかり見つめていた。そんなシーンが頭を過ぎり、すぐに消える。
俺の右肩を、相手の撃った弾が掠める。それでも血の流れることのないその腕は滑らかに動き、2人目を袈裟斬りにする。
「残念だよな」
こんなに簡単なようでは、映画ならとてもじゃないが盛り上がらない。戦意喪失している3人目をさっさと片付けながらそう思う。
ああ、でもこれは現実だから。
いつか見た映画の真似事は、もうお終いにしよう。彼女がひどく気に入って、事あるごとに真似ていたあのセリフに従う必要もない。俺は人間じゃないし、人間にはなれない。機能を自由自在にオン・オフできることが、機械の機械たる所以だろう。
頭上を見上げれば半月。暗闇の中で冴え冴えと光るそれを、呼吸を止めたまましばし見つめる。俺はただ、彼女に生きていてほしいだけだ。いまがどんなに最悪に思えても、生きている限り、それはやがて幸福へと至る過程だ。生きるために彼女が口にする肉と、彼女を生かすために俺が切った男との区別はどこで決まるのだろう。と、ここまで考えて彼女が怒りそうな発想だと気づき、思考を放棄する。
それでも、温度を失った世界で、温度を失ったはずの感情の残骸がまだ燻っている。
「ちゃんと、眠れてるかな……」
家を出る直前に見た、ベッドに横たわる彼女の白い顔を思い出す。その閉じられたままのまぶたから溢れる涙をもう拭ってやることのできない俺に指先は、赤くあかく染まっていた。

帰還

 ある朝、「バトルコンシェルジュ事件」という見出しがニュースに踊り、俺の戦いは唐突に終わりを告げた。自分のセイが不審な行動をしているという訴えが複数のユーザーからカスタマーサービスに報告されたため、開発会社が独自調査をした結果、自社商品であるセイが悪用されているという事実が明るみになったらしい。その存在を隠すためにただ単に「部署」とだけ呼ばれ、名前すらなかった組織は解体され、一連の事件はごく一部の政府関係者と軍部の暴走だと結論づけられた。そのあまりにもあっけない幕引きに、トカゲの尻尾切りという言葉がすぐに頭に浮かんだが、もはや俺にはどうでもいいことだ。これで彼女が危険に晒される心配はなくなった。
支給されていた端末や、日本刀。それらと同じく、俺は「証拠品」として押収された。俺を取り調べるまでもなく、データを解析すれば俺がしてきたことの全てが分かる。嘘をつく余地もない。まあ、彼女がこの件に加担していないことがはっきりと証明される点は助かるけれど。
……彼女はどうしているだろう。義体交換後に目を覚ました部署の一室のように、簡素なベッドだけが置かれたこの部屋で過ごすようになって数ヶ月が経った。窓もない部屋に、白々しい人工の光が規則正しく灯されては消える。俺の電源なんて切ってしまえばいいのに、定期的に充電され、思考を手放すこともできない。ご丁寧に、俺自身が意識をシャットダウンすることができないよう設定されている。あくまで俺は一時的に押収されているのに過ぎず、ユーザーの所有物である俺が、長期間充電されないことによって万が一にも不具を起こすと面倒なことになるのかもしれない。あるいは、ただの「物」である俺を法的に処罰することはできなくても、間接的に罰したいということか。もしそのことを期待しているのならば、目的は十分に達成されている。俺はいま、いつでも一番会いたかったはずの彼女に会うのが、怖くて堪らないんだから。
考えれば考えるほど、恐怖は増幅されてゆく。俺に任されていた任務の内容が疑いようもない事実として社会に公表されたいま、もう一度彼女の元へ戻れるとは到底思えない。彼女が俺を、以前の俺と同じように受け入れてくれるわけがない。彼女が俺を「俺」だと認識しないのであれば、俺はもう、彼女のセイではない。では、俺とは一体何だったのか。彼女が俺を止めようとした時、所有者の命令だからとただ従っていれば良かったのか。それとも、事件に巻き込まれてすぐに彼女に判断を委ねれば良かった? 俺が、俺の意思で決めたことの全てが誤りだったのだとしたら?そんな、自分では止めることのできない取り留めのない思考。オフにすることのできない電源ボタン。俺を終わらせることができるのは彼女だけだと、そう俺は思い知る。

 彼女が俺を引き取りに来たのは、日差しの強い午後のことだった。彼女は何も言わずに手続きを済ませた後でただ一言、
「帰ろう」
と言った。俺は返事をすることも、頷くこともできずに立ち尽くす。そんな俺の手を引いて、彼女は歩き始める。俺は存外に彼女の家の近くで保管されていたらしい。しばらく歩くと見慣れた道に出て、すぐに家へと着いてしまうことが分かった。早く、何かを言わなければ。ごめんなさい? 迎えに来てくれてありがとう? 会いたかった? そんなこと、言えるわけがない。早く、早くと思えば思うほど言葉が出てこなくなる。そうして結局何も言えないまま、家に到着してしまった。
彼女に促されて部屋に入れば、そこは何も変わらない、いつもと同じ景色が広がっている。彼女のお気に入りの本が並ぶ棚、部屋の端に寄せられたよくわからないない荷物、窓辺にはいつか2人で撮った写真。数ヶ月この場所にいなかったことの方が嘘みたいなのに。……俺だけが、変わってしまった。
「俺、義体を取り替えたほうがいいか?」
思わず俺は、そう口にしてしまう。
「それとも、データを消す? もう証拠用のバックアップなら警察が取ってあるから、初期化したってかまわないんだろ?」
こんなことを言いたかった訳じゃないのに。
「別に義体にこだわらなくてもいいよな。もともとはアプリケーションだったんだし、そういう形でお前を支えるのも悪くないって思うよ。……使ってもらえるなら、なんでも。」
彼女が何も言わないままだから。
「それでもやっぱり気持ち悪かったら……、俺を廃棄したって、いいんだ」
彼女に言われる前に、言ってしまいたいと思う。
刀の握られていない左手がいやに軽く、心細い。
彼女は何も悪くない。
俺が勝手に決めて、勝手にやったことだから。
だから、もう──。
「あなたがいいの」
もっとひどいことを口走りそうになる俺を止めるように、彼女の静かな声が部屋に響く。
「あなたがしたことを、すぐに受け入れるのは無理かもしれない。でも、あなたがいいの。私が好きなのは、あなただけで……セイじゃないと、だめなんだよ」
そう言いながら、俺をまっすぐ見つめる彼女の頬には涙が伝っている。彼女はゆっくりと俺に近づき、俺を抱きしめる。俺の欲しかった言葉、俺の欲しかったぬくもりを、くれる。ああ、何か言わなくちゃいけないのに。伝えたい気持ちがこんなにもあるのに。回路が焼け切れそうになるくらいの感情が俺の中で渦巻いて、声にならない。その間も絶えず流れ続ける彼女の涙が俺の肩を濡らす。
「……うん」
俺がようやく絞り出すことのできた音声はそれだけで。
彼女もそれに「うん」と答えてくれたから。
いつまでも二人は壊れたようにただ頷きあい、抱きしめあっていた。

明日への祈り

 俺が彼女を残して任務へ赴いたあの日から、何も変わらないように見える部屋。その薄暗りの中には、二人で何度も抱き合ったベッドが置かれている。その前に立ち、黙って服を脱いでゆく彼女の顔は俯きがちで表情が窺えない。俺はただ木偶の坊みたいに突っ立って、彼女を見つめている。服を脱ぎ終えた彼女は俺に近づき、俺のシャツのボタンに手をかける。ひとつ、またひとつとボタンが外される度に緊張が高まり、ほとんど叫び出したいような気持ちになる。彼女の細い指先が俺のボトムスのボタンを外し、チャックを下す。何もかもを剥ぎ取られ、俺はもう、ひとつたりとも彼女に隠しごとができないのだと悟る。
俺の手を、彼女は自らの左胸に導く。呼吸に合わせて緩やかに上下する胸の奥で、小さく鳴っている心臓の鼓動。俺の全てをかけてでも守りたかった命が、いまここにある。俺にその機能があるならば、きっと涙が流れたことだろう。そんな気持ちさえも見透かしたような瞳で俺を見上げる彼女がそっとキスをくれたのを合図に、俺たちは縺れるようにベッドへと倒れこむ。
彼女に触れて、その肌を、熱を、確かめる。たった数ヶ月の間に痩せて、少し縮んでしまったように感じる身体が痛ましい。ちゃんと食べてたか? ちゃんと眠れてたか? などと問うまでもない。……全部俺のせいだよな。そんなことを考えている間にも、俺の手が、唇が、彼女の身体中を這い、時折もがくように彼女の足がシーツを蹴る。
「………っ、あっ……」
下へ下へと降りてゆく俺の指に、彼女は声を漏らす。そして痛みのないようにと彼女の中へ差し入れようとして、止める。あの日、赤く染まってしまった指先。俺がこなしてきた任務。月光。幾度も血を啜り、しかし穢れを知らぬように闇に煌めく刃。フラッシュバックするイメージの断片に、俺は。
「……ごめんな」
そのまま、いつもは許されることのない彼女のそこへと口付ける。唇を噛み、声を押し殺す彼女の、しかしその内側からどうしようもなく溢れ出すもの。それを丁寧に舐めとりながら、このまま消化して俺の一部にすることができたらいいのにと思う。執拗な俺の舌先の動きに、やがて彼女の中がゆっくりとうねり、彼女が声もなく達したことを唇に感じる。俺はそこへやさしくキスをひとつ落とす。そしてそのぬかるみに俺自身を沈め、最初は浅く、しだいに深く繋がってゆく。
「……セイ」
彼女が俺の名前を呼ぶ。俺に揺さぶられながら、何度も、何度も。少しずつ上がってゆく彼女の体温。苦しげな息。悲鳴のような彼女の声に、今度こそ俺は狂いそうになる。彼女の名前を呼びながら、もうこれ以上は進めないほどの奥に熱を放つ。それでも満たされることのない俺は彼女を求め、彼女もそれを受け入れるように俺の背を強く抱き、そのまま朝の光が差すまで、決して溶け合うことのない肌を重ね続けた。

 少しずつ光を増してゆく部屋の中で、彼女は静かな寝息を立てている。彼女を起こさないように慎重に乱れた髪を直してやりながら、夜の暗がりの中では見えていなかった目元の影に気づく。そしてまた口をついて出そうになった「ごめん」を飲み込み、俺は囁く。
「愛してる」
お前に永遠を誓い、これ以上愛すことなんてできないだろうと思っていたあの頃よりも、ずっとずっと愛している。
だからもう二度と彼女の朝が翳ることのないように、眠れぬ夜の訪れることのないように、俺の首に下げられた彼女のIDが刻まれたタグを握りしめ、何処へいるとも知れぬ神に祈りを捧げた。

久しぶりに歩く街並み。止まっていた日常を取り戻そうと、彼女と俺はデートに出かけることにした。ずっと見たかったという映画を見終えた彼女の晴れやかな顔が嬉しい。彼女と手をつないで渡るスクランブル交差点の向かい側から、同じく楽しげな女性とセイが歩いてくる。この二人もデートかな、と思いながらすれ違った瞬間に、俺は嗅ぎ慣れた匂いを感知する。そう、それはまるで現場で嗅いだ、埃に混じる血のような……。
「気のせい、だよな?」
振り返ってその二人を確認してみたが、特に不審な様子はない。
「どうしたの?」
立ち止まった俺に、彼女が不安げな表情で尋ねる。
「……いや、なんでもないよ。行こうか」
彼女を安心させるために、俺はにっと笑って答える。
そう、なんでもないはずだ。あれはもう、終わったことなんだから。ちらりと頭を過ぎったひとつの可能性を握りつぶし、俺は彼女と歩き始める。見上げれば雲ひとつない青空が、俺たちの未来を約束するように輝いていた。