八神創真×女コーチ
チャオ! コーチ、元気にしてるかい?
日本が恋しいよ、君にも早く会いたいな。
愛を込めて。
海外にいる八神くんからたまに荷物が届くようになったのはいつからだろう、と今朝届いたばかりのエアメールを読み返しながら思う。それは今日のようにメッセージカードのときもあれば、ちょっとしたプレゼントのときもあった。時には無記名で届くこともあったけれど、すぐに八神くんからだと分かった。だって、わたしにこんな風に贈り物をする趣味を持ち合わせているのは、彼しかいないから。
そして、「八神創真」について知らない誰かが読めば、恋人からの手紙だと勘違いしてしまいそうなその文面は、まったく彼らしかった。ゴールドハイムで一緒に暮らしていた頃と何も変わらない、やさしさと思いやりの精神に溢れている。
紅鶴学園を卒業して以来、八神くんは寮長(もう寮長ではないけれど、この呼び方が一番しっくりくる)と三木くんと世界中を飛び回っている。わたしのところへと荷物が着く頃にはもう別の場所に移動してしまっていることが多いせいで、お返しに何かを贈ることはとても難しい。その上時差もあるから、通話をすることもためらわれた。
だからわたしは、いつも簡単な返事をメッセンジャーで送ることにしている。
カードが届きました。
ありがとうございます。
ゴールドハイムのみんなは相変わらずです。
たとえばこんな感じだ。前回のメッセージとそう変わらない文面を送信しながら、やっぱり素っ気なかったかなと少しだけ思う。でも、忙しい彼に長々とメッセージを送っても迷惑だろう。実際、八神くんからの返信は遅れがちだった。「そんなことは気にせずに、メッセージを送ってほしいな」なんてことを言いそうな彼だからこそ、無理をしてほしくない。シアターベルにとって大事なときなんだから、ただの後輩にかまっている場合ではないのだ。むしろ、いまでもエアメールを送ってくれることの方が奇跡だと思う。
彼からの手紙を、部屋に戻るまで待ちきれずに廊下で読み返す。便箋を広げたときに微かに香る、柑橘系の香り。八神くんはいまスペインにいるらしい。そのまま手紙を読みふけっていると、
「おっ、コーチ! なに読んでるんだ?」
ひょい、と手元を覗き込みながら朝日くんが言った。
「それ、八神からの手紙じゃんか。……うおっ、相変わらずキザな野郎だぜ」
と、朝日くんと一緒に帰寮したところらしい椿くんが顔を顰める。
「創真から? オレも見る見るーっ!」
「よくこんなこと書けるよな、恥ずかしくないのかよ……ある意味尊敬するぜ」
わたしの了承を得ないまま手紙を読み始めたふたりは、ずいぶんと好き勝手なことを言っている。読まれて困るようなことはなにひとつ書かれていなかったけれど、さすがに八神くんに悪い。そう思ってふたりを止めようとしたとき、
「なぁ、コーチ、いまから創真に電話しようぜ!」
と、いかにもいいことを思いつきましたという顔で朝日くんが言った。
「いいな、それ、面白そうだな!」
椿くんはそう言いながら、もうスマホを取り出している。
「ああ、ちょっと待って……!」
わたしの悲鳴が響いた頃には、すでに発信ボタンが押された後だった。こちらは夕方でも、スペインはもう真夜中のはずだ。なんてことを! と頭を抱えたくなったけれど、なにもかもが手遅れだ。たったの数コールで八神くんと通話がつながってしまった。
「創真? 元気にしてたか?」
数ヶ月ぶりの通話だとは思えない調子で、朝日くんは話している。彼持ち前のフットーワークの軽さと明るさが、いまはちょっとだけ恨めしい。でも朝日くんは、じとりと睨むわたしの視線にまるで気づいていないみたいだった。
「うん、そう、コーチにいま代わるなー」
そう言って、こちらにスマホを差し出してくる。
「もしもし」
仕方なくそれを受け取って、わたしは言った。
「……コーチ? 久しぶり」
耳元で八神くんの普段よりもくぐもった声が聴こえる。その瞬間、心臓が痛いほどに暴れたしたことを悟られないように話し続ける。
「八神くんも久しぶり。元気にしてた?」
「もちろん♡コーチも元気そうでよかったよ」
「もしかして、寝てた?」
「ああ、寝ようかなって思ってたところだったからかな。いつもと声がちがってたらごめんね」
やっぱり、と思いながらわたしは謝った。「気にしないで」と八神くんは笑ってくれたけれど、気にならないわけがない。わたしを気遣ってか、話題を変えるように八神くんは自分の近況について話してくれた。スペインの気候のこと、料理のこと、そしてもちろんダンキラのこと。
「最近はぼんと聖人とは別の部屋をとるようにしてるんだ。一緒の部屋だと、つい夜ふかししちゃってね……」
と、そんな事情まで教えてくれた。
幸いにもスペインでの対戦はすでに終えていて、明日オフを過ごした後で移動するのだそうだ。
「次はどこへ行くの?」
「たしか、ドイツだったかな」
その曖昧な言い方がいかにも旅なれている人のそれで、わたしは八神くんを遠くに感じた。
もっと話したいことがたくさんあったはずなのに、いざこうしてみるとなにを話せば良いのか分からなかった。他愛のないことばかりが、頭の中に浮かんでは消える。寮にいた頃だったら、思いついたことをそのまま伝えていただろう。でも、それはスペインにいる相手と通話してまでわざわざ話すようなことではない。
「どうしたの、コーチ?」
急に黙り込んだわたしを心配するように、八神くんが呼んだ。
「えっと、」
なにか言わなくちゃ。そう思えば思うほど、言葉が出てこない。
もしもいま、ここで、なにも言わなかったら。わたしはきっと後悔すると思う。今日の出来事をいつまでも引きずって、あのとき勇気を出していればといつまでも嘆くにちがいない。早く言わなきゃ、とわたしは思う。──八神くん。ねえ、八神くん、あのね、わたしね、と喉のあたりまで言葉が出かかったとき、
「大丈夫? 疲れが溜まってるんじゃない?」
と、八神くんが言った。わたしよりもずっと疲れているはずなのに、「長話しすぎちゃったかな」と穏やかな声で。
「そんなこと、ないけど」
そう答えながらも、わたしの声はまるで本当に通話を切りたがっているように響いた。
「こっちこそ、急にごめんね」
「いいんだ、またいつでも連絡して♡」
謝ってばかりいるわたしに、ぱちん、と指を鳴らして彼が言う。
「うん、ありがとう」
「じゃあ、また」
「おやすみなさい」
やけにスムーズに通話を終えながら、きっとこんな機会は二度とないんだろうな、とぼんやりと思う。
あした、八神くんに会いたい。本当は、そう言いたかった。
それが無理だってことくらい、わたしにだって分かっている。でも、一番言いたいことは、それだった。あした、八神くんに会いたい。あさってでもいい。一週間後でもいい。なんでもいいから、八神くんに会いたい。
だけど、そんなことを言っても彼を困らせるだけだから、わたしはたぶん、一生言えない。
わたしはあしたも八神くんに会えなくて、あさっても会えなくて、八神くんが帰国した日にも会いにいけなくて。そうやって八神くんとの距離はこのまま離れていくばかりなんだろう。
「おーい、コーチ! 」
スマホとエアメールを握りしめたまま、立ちすくんでいるわたしをふたりが呼ぶ。
「今日の夕飯、酢豚だって。楽しみだなぁ」
「おっ、いいな。コーチ、早く行こうぜ」
「うん」
椿くんにスマホを返しながら、わたしはうなずく。
「八神、元気そうだったな」
「……うん」
目をそらすように視線を落とすと、手のなかで八神くんからの手紙がひしゃげているのが見えた。