チアキ×相談員
*R18*
「チアキくん、あのね、」
そう彼女に声をかけられたのは、日曜の午後、もう間もなく空が橙色に染まろうとしている頃だった。
俺は目を通していた資料をサイドテーブルに置き、声の方へと視線を向ける。脚を組みかえ背もたれの方へ深く座りなおすと、ソファーの座面がゆっくりと沈んだ。そのまま話の続きを待ったが、彼女は曖昧な笑みを浮かべたままなにも言おうとしない。その上、後ろ手に隠された大きな紙袋がいかにも怪しかった。
「なに? もしかして俺に頼みごと?」
からかうように言うと、「実はそうなの」と、彼女はあからさまにほっとした表情を浮かべた。別に遠慮しなくていいのに、と思うけれど、俺がいつも忙しくしているせいで言い出せないでいたのだろう。もっとふたりの時間を作らないとな、と俺は考えを巡らせる。
その間にも彼女は隣へ来て、早速ごそごそと音を立てながら紙袋の中身を広げている。どうやら中身は洋服のようだった。なんだ、そんなことなら……、と安堵しかけたとき、
「ね? 差し入れの服にそっくりでしょ?」
と、邪気のない声で彼女が指し示したものを見て、俺は絶句した。
「これは……」
ソファーの上に並べられていたのは、紫色のトップスと黒いパンツ、ベルト、猫の耳がついたカチューシャと尻尾のような飾り。そして、南京錠のついた首輪だった。
束縛のダークなコーデ。あの島の店でたしかそんな名前で売られていたコーディネートだ。彼女は「そっくり」だと言ったが、それどころではない。俺の記憶が正しければ、恐らくこれは『本物』のあの服だ。
なぜこんなものが? と当時も思ったが、いまも全く同じ気持ちだった。
すぐにでも彼女がどこでこれを手に入れたのかを問い詰めたかったが、尋ねたところで正直に答えてくれるとは限らない。どうせ碌でもない入手経路に決まっているからだ。まずは大人しく彼女の『頼みごと』をきいた方がいいだろうと、とっさに判断する。お仕置きはそれからだ。
「へぇ、それで? また着ろって?」
と、だから俺は言った。
「だめ?」
「そういうわけじゃないけど」
ここでたっぷり一呼吸分の間を空ける。期待するように見上げる彼女の眼差し。こうやっておねだりされると、悪い気はしない。
「分かった、せっかく用意してくれたんだし、着るよ」
わざと勿体をつけるように了承すると、彼女がぱっと顔を輝かせるのが分かった。
「本当!?」
「ああ。……でも、高くつくぞ?」
と、余裕ぶって答えた俺は、これから待ち受ける試練の数々を知る由もなかった。
こういうのは恥ずかしがるから余計に恥ずかしくなるのだ。仕事のために趣味じゃない服を着ることには慣れている。ましてこのまま外を出歩くわけでもない。可愛い恋人のちょっとしたわがままに付き合う。それだけのことだと言い聞かせて、俺は並べられた洋服を順番に身に着けていく。
彼女はソファーに座ったまま、俺を見つめている。恋人とはいえマナーとして目を逸らしてくれるかと思ったが、そういうプレイなのかもしれない。それを熱烈だな、と思いはしても不快ではなかった。
「チアキくんはなんでも似合うね」
猫耳カチューシャをつける俺に、彼女が言う。
「そうか?」
いま身につけている物が物だけに、複雑な気分だ。どうせならもっと違う場面で褒められたかった。
「尻尾、つけてあげる」
と、彼女がふわふわとした毛の塊を手に取った。思わず大きなため息が出そうになったが、ぐっと堪えて背を向ける。すぐにベルトを引っ張られる感覚と共にかちゃんという音がして、それが取り付けられたことが分かった。
「あとは首輪だけだね」
「ああ」
彼女の白い手がそれを持ち上げると、南京錠が揺れて金属音を立てた。たったそれだけで、息が詰まるような心地がする。本革でできた首輪は頑丈な作りのせいで重量があり、付けてうれしい気持ちになる代物では決してない。
そんな不快感が顔に出ていたのかもしれない。
「これも私がつけていい?」
と、遠慮がちに彼女が尋ねた。もちろん、いまさら断る理由もない。
俺は彼女の手が届くように腰をかがめる。「どうぞ?」と、こんな風に首を差し出すのはなんだか妙な気分だった。このまま首輪で思い切り首を締められたら自分は死ぬかもしれない。彼女がそんなことをするはずがないとよく分かっているのに、命を握られているという感覚に背筋がぞくりとする。
不穏な想像とは裏腹に、彼女の指先はやさしかった。感心してしまうほどスムーズに金具を留めて、
「はい、完成」
と、俺の首から手を放す。そのまるで歌でも歌うような明るい声につられて、俺の体からも徐々に力が抜けていく。
「本当によく似合ってるよ」
その言葉に嘘はないのだろう。上等なスリーピースのスーツを着たときよりもずっと彼女の瞳は強い光を湛えている。全くもっていい趣味をしていると思う。
「それはどうも」
気に入ってくれたならなによりと、俺はソファーに腰を下ろす。尻尾を固定している金具が、カチャリ、と小さく鳴る。
隣の彼女の顔を覗き込んで、「これで満足?」と尋ねてみる。やさしい君はちゃんとご褒美をくれるよな? と、いつでもキスができる距離で、その反応を待った。
一秒、二秒、三秒、と忍耐強く『待て』を続ける。だけど、彼女は俺を見つめるばかりで近づいてくる気配はない。さすがにこれ以上は待てないと、自分からキスをしようと距離を詰めようとした俺の、その首輪をぐいっとつかんで「じゃあ、」と彼女は言った。
「じゃあ、早速だけど、ご主人様って言ってみて?」
「は?」
思わず声が出たのも無理からぬことだろう。
ご主人様? なんの冗談だ? と笑い飛ばそうとしたけれど、彼女の目は至って真剣だ。
「いや、ちょっとそれは……さすがに……」
その視線に気圧されるように言いよどむと、
「ご主人様」
と、間髪入れずに返される。
軽く引っ張られたままの首輪のせいで、首のあたりがすこし苦しい。振りほどこうと思えば簡単にそうできるはずのに、妙な威圧感があった。どうやら『ご主人様』と呼ぶまで彼女は許してくれないようだ。観念した俺は、
「ご、ご主人様……」
と、口に出してみる。思った以上に恥ずかしいが仕方がない。彼女の強い視線から逃れるように目を逸すと、彼女の手が動くのが見えた。
「いい子だね、チアキくん」
小さな子供にするように、そのまま彼女は俺の頭をやさしく撫でた。
「……っ」
彼女のあたたかな体温が、手のひらを通して伝わってくる。俺の頭を、頬を、首を、撫でるその手。こんなの、拒めるわけがないじゃないか、と思う。俺の意思とは関係なく、体が次第に緩んでいくのが分かる。首の圧迫感もいつの間にか和らいでいた。
普段なら馬鹿にされていると感じてもおかしくないはずなのに、「いい子」とくり返し囁かれることすら不思議と心地よくて。彼女の手に導かれるまま、俺はシャツを脱いだ。
それは全く不可思議な体験だった。さっき着たばかりのシャツを、しかも頭の上につけた猫耳が外れないように慎重に脱ぐというのは。
しかし、そんなことを気にしている暇はなかった。素肌に彼女の唇を押し付けられて、体温が一気に上昇していく。彼女に触れられた場所のすべてが熱かった。呼吸を乱すまいと深く息を吐く。その呼気さえも情欲を帯びて熱く震えている。
耐え切れなくて、俺は彼女の背中へと腕を回した。その体を覆うすべてのものを剥ぎ取って、すぐにひとつになりたかった。
「勝手なことしちゃだめでしょ?」
そんな浅はかな欲望を察知したのか、彼女がまた首輪をぐっとつかんで俺を制止する。
「……ぐっ」
首を締め付けられる感覚に、俺は顔を顰めた。息ができないほどではないはずなのに、どういうわけか、はぁはぁと息が上がっている。
「いい子にして。そうしたらご褒美をあげるから」
彼女は俺をなだめるように、耳元でうんと甘い声で囁く。
「できるよね?」
その声に、肌が粟立つのが分かった。
「はい、……ご主人様」
「よくできました」
そう言って俺の頬を撫でる手のひらは、あくまでもやさしく、あたたかい。唇と唇が重なる感触に目を閉じれば、そのとろけるような気持ちよさにまつげが震えた。彼女の小さな唇が、俺のそれを割り開いていく。その隙間からぬるりと差し込まれた舌を受け止めた頃には、俺はすっかり彼女のペースに身を委ねていた。
どうやら『ご主人様』の命令以外の行動をすると『悪い子』だと見なされてしまうらしい。もっと、と自分から舌を絡ませようとすると、すぐにするりと逃げられてしまう。反対に、大人しくされるがままになっていると、彼女はいくらでもキスをしてくれるようだった。
冷静に考えると、いい思いをしているのは明らかに俺の方だった。むしろ君はいいのか? こんなことをしてくれるなんて……と、いつになく積極的な彼女の様子に戸惑う気持ちも湧いてくる。
そうこうしている間にも、彼女は俺のベルトに手をかけて脱がそうとしていた。キスをしながら器用な指先がジジジ、とファスナーを下ろし、興奮を隠すことのできないその場所を、下着の上からなぞられる。
「ご主人様……、ッ!」
彼女の指先が動くたびに、じっとりと下着が湿っていく。これ以上、待てない。そう思うのに、もしも勝手なことをして彼女がこのままやめてしまったら、と考えると動けなかった。
「気持ちいいね」
と、俺がなにを望んでいるかなんて分かりきっているはずなのに、彼女は焦らすように先端をくるくると指先で撫でる。溢れ出した劣情が、彼女の指先を濡らしていく。
いまの俺は、彼女に与えられる快感を享受するだけの存在だった。
「は、ぁ、……っ」
彼女に触れられる度に、熱い息が漏れる。
やがて、その細い指が下着のなかへと侵入し、素肌に触れた。そうして快楽に震える俺自身をあやすように上下に擦りあげられれば、ひとたまりもなかった。
「いけません、ご主人様、……っ、これ以上は、」
と、懇願してみたが、やめてくれる様子はない。
普段ならこれくらいの刺激でどうということはないはずだった。彼女から求められている。たったそれだけのことで、今日の俺はいつもよりずっと興奮している。彼女の手つきはあくまでもゆっくりだったが、まるで俺の限界を試されているようだと思った。
彼女が欲しい。
もうそのことしか考えられなくて。
体の感覚を、思考を、俺のすべてを、彼女に支配されてゆく。
下腹部で煮えたぎる情欲を必死で押しとどめながら、しかしその責め苦さえも気持ちいいと感じている自分がいた。
「ん……、あーー」
ようやく彼女が俺を受け入れてくれたときは、声を抑えることができなかった。もしもキスで口を塞がれなければ、柄にもなく喘いでいたかもしれない。
彼女の、あたたかくて、やわらかな場所のすべてを独占している。その実感が、体中を駆け巡っていく。
俺の膝のうえに乗ったまま、彼女が腰を動かしはじめる。ゆっくり、ゆっくりと腰を持ち上げてはまた落とす。生殺し、という言葉が頭に浮かぶほど緩慢なその動きに、気が狂いそうになる。
彼女の腰をつかんで、もっと激しく揺さぶりたい。
もっと強く、もっと深く、彼女を愛したい。
そんな衝動が膨らみ続けることに耐えかねて、呻き声が漏れた。腰が深く沈められる度に、
「ぁ、……っ、ぁ、ぁッ、……、ぁ!」
と、彼女もあえかな声をあげている。その声に頭の奥がじいんとしびれて、下半身がより一層硬さを増すのが分かった。彼女もまた、いつもより感じているように見えた。たくし上げたスカートの下の結合部からは、ぐちぐちと分泌液が溢れる音がしている。
これくらいゆっくりとしたペースの方が好きなのか、コスプレが好きなのか、それともこの体勢だと彼女のいいところへ当たるのか……、理由は定かではなかったが、彼女が懸命に快楽を追っている姿はいじらしくて、可愛かった。
「あっ、あ、……チアキっ!」
腰を大きくくねらせながら、彼女が俺を呼ぶ。俺自身の先端が、彼女の粘膜を擦りながら奥へ奥へと進んでいく。トン、と最奥を突くたびに、彼女はほとんど悲鳴のような声を上げる。
「チアキ、ッ……! あっ! チアキ、くん……っ!」
気持ちよすぎるせいか、彼女の腰の動きはますます遅くなっていた。そのくせ、彼女のなかは俺を求めるようにわななき、強く締めつけてくる。
その潤んだ瞳が、すがるように俺を見つめる。
彼女の唇が「チアキ」と呼ぶためのかたちに開かれて、しかし音を出せないままにただ荒いだけを吐く。
その刹那、すこしずつ、ほんのすこしずつ、腹の底に溜まっていたものが、一気に吹き出すのが分かった。
「ん、は……、ッ、」
勢いよく出し切ったそれは、息が止まるほどに気持ちがよくて。
俺を包み込む彼女のなかは、ひどく心地がよかった。
俺が吐精するのと同時に彼女も達したらしい。ぐったりと俺の肩に凭れかかったまま、長く続く余韻に震えている。身につけているワンピースにはいくつもの深い皺が刻まれていて、早急にクリーニングに出す必要があるだろう。さっきまでの勝ち気な様子はどこへやら、甘えるように俺に体を預けてくる様子は堪らなかった。
これでどうにかならない方が、どうかしている。
彼女のなかに入ったままのものが、びくりと動いた。「ぁっ」と彼女が小さな声を上げ、その内側が反射的に収縮する。どうすればいいのか分からないのだろう、彼女は恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
「……申し訳ございません、ご主人様」
と言いながら、俺は破廉恥だと罵られても仕方がないくらいに興奮していた。
「お仕置きされても構いません」
彼女がもっと欲しかった。 呼吸も、鼓動も、まばたきさえも、いまの俺にとっては彼女のために行われるものでしかなかった。
「ご主人様、私にもご奉仕させてください」
そのときの俺は、一体どんな顔をしていたのだろう。ようやく顔を上げた彼女の、その目が驚きに見開かれるのが見えた。
俺はいったん彼女の体を抱えあげてソファーへと下ろした。なかから引き抜かれたものが顕になり、ほんの数秒、様にならない姿を晒してしまったが、背に腹は代えられない。そのままもう一度彼女を抱きかかえて、寝室へと向かう。
「えっ! ちょっと、チアキくん!?」
彼女の焦ったような声が聞こえたが、構わず大股で歩いた。窓の外は、いつの間にか夜になっている。カーテンの引かれていないその窓は、闇のなかで飢えた獣のような俺の姿を鏡のように映し出していた。
ベッドに彼女を下ろし、逃げられないようにさりげなく手を繋ぐ。めくりあがったままのスカートからは、むっちりとした太ももがのぞいている。もう片方の手でその感触を確かめながら、俺は熱い息を吐いた。
「ご主人様、」
それ以上はもう、言葉にはならなかった。
彼女の太ももに、臀部に、腰に、俺は触れた。ぐちゃぐちゃになった服を剥ぎ取り、素肌に舌を這わせた。室内が暗いせいで、彼女がどんな表情をしているのかはよく分からなかった。その代わりに、彼女から立ち上ってくる体臭や、息を飲む音、彼女が身を捩るたびにする衣擦れの音が、いつもよりはっきりと感じられるようだった。
もしかすると、それは彼女の方も同じなだったのかもしれない。胸をやわやわと揉まれながら、「ん、ぁ……」と彼女は甘い声を漏らしている。いつもの彼女ならここまでは反応しないはずだった。触れれば触れるほど、彼女の感覚が拓かれていく。そのことに気を良くした俺は、胸を揉みしだき、先端を舌先で弄んでは執拗に可愛がった。
「あっ、あっ……、ああっ!」
喘ぐ彼女のその肌は、俺の手によってしっとりと汗ばんていく。未知の快感に悶えながらも、俺を拒もうとはしない。それがますます俺をつけ上がらせることくらい、想像できそうなものなのに。
その間にも、俺の首のあたりからは、首輪が立てる小さな金属音がずっと聞こえていた。最初は耳障りだったはずなのに、いまでは妙な愛着を感じる。南京錠の鍵は彼女が持っているから、自分では外すことができない。俺が彼女のものである証。──なんて、そんな大層な意味はないのかもしれないけれど、俺には彼女が見せてくれた独占欲がどうしようもなくうれしかった。
邪魔になった服を脱ぎ去って、床へと適当に放り投げる。やっと素肌で抱き合えたよろこびと期待。胸が痛いほどに高鳴って、苦しい。
やがて触れ合った下半身は、俺のものとも彼女のものとも分からない分泌液でぐっしょりと濡れていた。
ふたりの呼吸が重なるように吐き出されるのが分かった。
そしてすぐに、互いの輪郭が溶け合うように、ひとつになった。
「ふ、っ……、んん、んんッ、ん……!」
彼女の悲鳴を飲み込むように、キスをして。俺自身を馴染ませるように、奥までぐっと押し付けたまま静止する。彼女のなかはとうの昔にぐずぐずになっていて、すぐに俺を受け入れてくれる。
彼女がそうしていたように、俺もなるべくゆっくりと腰をグラインドさせる。互いの分泌液が混じり合う水音。甘く痺れるような快楽。首に回された腕の重み。
ほんの数回腰を動かしただけで、あっという間に彼女が達してしまったことに気づいたが、俺は止まれなかった。
「もっと……もっとです……」
彼女の熟れた粘膜がまだひくひくとうごめいている。その感覚を味わいながら、焦れるような速度で、しかし絶え間なく動き続ける。
「逃げないで、」
と、彼女の手を繋ぎ止めて。
「……もっと、気持ちよくして差し上げたいのです」
そう囁きながらも、こんなものはただの詭弁だということは分かっていた。俺が彼女を離したくないだけだ。
彼女に求められたのがうれしくて。
もっとそれが欲しくなっただけ。
それでも、彼女は追い詰められれば追い詰められるほど、俺の背に強くしがみつこうとする。いっそ爪を立ててくれればいいのに、彼女はそうしない。忠実な下僕の顔をしたその男こそがご主人様をこんな目にあわせている張本人なのだと、まるで気がついていないみたいだ。
呼吸を合わせながら、彼女をやさしく揺さぶる。心も体も溶け合っていくような、奇妙な浮遊感が俺を包む。
ああ、このままずっと彼女を独占していたい、と思う。
この瞬間を、永遠にできるなら。
俺はきっと、どんなことだってするのに……。
そんなどうしようもない考えが浮かんでは消えて。重ね合わせた手のひらが、体が、何よりもあたたかくて。
俺は彼女のなかで二度めの絶頂を迎えた。
「……はぁ、っ、」
弛緩した体を腕で支え続けるのが厳しくなって、俺は彼女のとなりにごろりと横たわった。乱れ切った呼吸のせいで、胸が激しく上下している。こんなにも心拍数が上がったのはいつぶりだろう。俺も、彼女も、いまや息も絶え絶えだった。
体が離れた途端に、彼女の顔が見えないことが不安になった。俺はずっしりと重く感じる腕を無理矢理伸ばして、枕元のライトをつけた。
オレンジ色のやわらかな光が、俺と彼女と白いシーツを照らす。頬が上気した彼女の横顔は、いつもよりほんの少しだけ幼く見える。俺の視線に気づいたのか、じっと見つめ返してくる瞳は、まだ潤んでいる。それに引き寄せられるようにキスをして、彼女を抱き寄せた。
これ以上欲が育たないように、触れるだけの軽いキスをくり返す。すると、おかえしと言わんばかりに、彼女からも、額に、頬に、そして鼻先にまでキスが返ってくる。まるで彼女の方が猫みたいだった。
そのまま好きなようにさせていると、彼女はまた俺の頭を撫ではじめた。やや癖のある毛先を撫で付けるように、彼女の手が何度も頭の上を行き来する。うれしい気持ちが全くないわけではなかったが、ここまでされると子供扱いされているようできまりが悪い。
「それはちょっと……」
と、やんわり止めようとしたとき、彼女の手が何かに当たった。なんだろう、と数秒考えた後、それが彼女が用意した猫耳カチューシャであることを思い出し、自分の顔が急速に赤らむのが分かった。
視界に入らない位置にあるせいで、すっかり忘れていた。ゆっくり動いていたから外れなかったのか……、と考えつつも、動揺を隠そうと条件反射的に口元を覆う。
それを照れ隠しだと受け取ったらしい彼女は、唇に笑みを浮かべた。
「いい子」
そう言って、うれしそうに俺の頭を撫でてくれる。これには思わず苦笑してしまった。
「そうか? ご主人様の命令に逆らったのに?」
最後の方はほとんど俺の好き勝手にしていた自覚がある。後で多少は怒られるだろうなと思っていたのだ。
あるいは、ひょっとするとまだプレイは続いているのかもしれなかった。ご主人様が飼い猫を可愛がる、そういうプレイが。
しかし、彼女は全く意に介さずに言った。
「今日も忙しかったのに、遊びに付き合ってくれたでしょ」
と、手のひらを頬に添えて。
「いい子だよ」
そう言われて俺は、仕事のことなんてすっかり忘れていたことに初めて気づいた。こんなことは、随分と久しぶりだった。
彼女の言う通り、俺が忙しいのは事実だ。だけどそれは、そのせいで彼女に淋しい思いをさせているということでもある。この程度では全然埋め合わせにもならないし、別に褒められるようなことでもない。それに『いい子』なんてそんなことを言われてよろこぶような歳でもない。
それなのに、どういうわけか胸の奥がひどくあたたかくて、苦しかった。
彼女はいつも、彼女にしかできないやり方で、それが心の底からの言葉なのだと信じさせてくれる。愛だとか、恋だとか、かつての俺には到底信じられなかったことだって、彼女が口にすれば真実に聞こえる。
彼女がくれる言葉が、無防備な心に染みていく。
「いい子、いい子……」
やさしい子守唄のような声に、いつかずっと昔の、記憶にすら残っていない何かが心臓のあたりで震えている。そんなものはとっくに捨てたと思っていた。俺には必要のないものだと決めつけていたそれを、彼女がやさしく撫でてくれる。
このまま不用意に口を開けば、なにかとんでもないようなことを口走ってしまう気がした。
だから俺は、黙ったまま彼女の気が済むまでじっと待っているような顔をしていた。甘んじて可愛がられている猫のような、拗ねた顔だ。
そんなことすらも、彼女にはお見通しだったのかもしれない。何も言わない俺を咎めることなく、ただ頭を撫でてくれた。俺の鼓動が徐々に落ち着きを取り戻すまで、それは続いた。
頭を撫でてくれる彼女の手は、俺の手よりもずっと小さいのに、誰よりも頼もしいもののように見えた。
「頑張り屋さんのいい子だね、チアキくん」
と、彼女が言う。
「もっと悪い子になってもいいんだよ?」
彼女は挑発的で自信たっぷりな様子だったが、俺の腕のなかに収まったままなせいでひたすら可愛いだけだった。
俺が本気で『悪い子』になったらかなり困ると思うけど、彼女なら本当にそういう俺のことも受け止めてくれるのかもしれない。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は彼女の臀部に手を伸ばした。丸みを帯びたその場所の奥は、まだ熱く湿っている気配を感じる。
彼女はくすぐったそうに声を立てて笑い、俺の名前を呼ぶ。たったそれだけで、自分の口元がだらしなく緩むのが分かる。
俺が彼女を抱きしめると、彼女も俺を抱き返してくれる。
夕暮れの光のようにふたりを照らすライトは、もう消してしまった。窓の外で深まっていく夜は、君をこのままここに閉じ込めておく理由になってくれるだろう。
世界で一番愛おしい、俺のご主人様。
今夜は君のお気に召すままに。