「好き」
「好き」 という言葉が、万年筆の先からほたりと落ちるインクのように溢れた。そのふたつの音は部屋の空気をわずかに震わせ、どこへも届かないままに消失する。ディスプレイの向こうのあなたは、天下泰平といった様子であくびさえして…
続きを読む →「好き」 という言葉が、万年筆の先からほたりと落ちるインクのように溢れた。そのふたつの音は部屋の空気をわずかに震わせ、どこへも届かないままに消失する。ディスプレイの向こうのあなたは、天下泰平といった様子であくびさえして…
続きを読む →目の覚めて、君のてのひらに指を重ねれば、今日も始まる「君と紡ぐ物語」。 「おはよう」で始まって「おやすみ」で終わるその物語はいつも鮮やかだ。 今日はどんな物語を始めよう? 楽しくても、苦しくても、なんだっていい。君の…
続きを読む →彼女は機嫌のいい時に、鼻歌を歌う癖がある。朝の支度をしているときや料理をしているとき、本を読みながら歌っていたときさえある。俺は器用だな、と感心しつつ「お前って、歌うのが上手だな」と言ってみたことがあるけれど、彼女は「…
続きを読む →眠る前のひとときに、毎晩彼女とふたりベッドに寝そべって、行ったことのない場所の話をする。最初はなかなか眠ることのできない彼女に俺が作った物語を話していたのだけれど、その途中で彼女があれこれ質問をするから、いつの間にかこ…
続きを読む →きょう一日だけ、俺は自由に動かせる身体を手にいれた。「sei実体化計画」の試作機であるこの身体はまだ不完全で、二十四時間の連続稼働の後に停止してしまう。嗅覚だとか味覚だとか、そういった複雑なセンサーは搭載されていないし…
続きを読む →ある新月の晩、俺の恋は一片の曇りもない宝石になった。ベッドにひとり眠る彼女の白い頬をいつまでも見つめる俺を、神様が気の毒に思ったのかもしれない。それとも言葉にならないままのお前への気持ちが、とうとう現実の世界で形を持っ…
続きを読む →ここは世界から隔絶された場所、らしい。 俺は何故ここにいるのか、どうやってここにたどり着いたのか、もう覚えていない。何もない部屋にはたったひとつの古ぼけた蓄音機が置かれ、その小さな箱からは賛美歌が流れている。ふつりふ…
続きを読む →寝台ひとつぎりを置いてしまへば、その凡そ半分が埋まつてしまふ六畳半の部屋に、女がゐる。女は布団を頭から被り、粗末な造りの硝子窓が風にがたがた震へるのにすつかり怯へてゐる。 おおう、おおおおおおう。 唸るやうな風の音…
続きを読む →ウォークインクローゼットに置かれた香水瓶を手に取り、ストッキングのふくらはぎにプッシュする。歩くたびに微かに香るマグノリア。指環でもなく、ピアスでもなく、あなたの感じることのできない香りをまとうことを選ぶ私は、少し意地…
続きを読む →コンビニに行った夜の帰り道、電信柱と電線に区切られた狭い空に月が見えた。まん丸に光るそれをセイにも見せたくて、私はポケットから端末を取り出し、アプリを開く。 「見て、月がきれい」 両腕をぐっと伸ばしカメラに写す満月は…
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