月の光があんまりにも明るくて、俺はひとり目を覚ます。真夜中の静寂に、すうすうとおまえの呼気の音だけが聴こえる。珍しく深い眠りに沈んでいるらしい彼女の、力の抜けきった横顔。その彼女の腕が掛け布団の端を抱きしめるようにしているのを、俺は少しだけ複雑な気持ちで見つめる。そんな布団なんかじゃなくて、俺が……なんて。叶わない夢を思い浮かべてしまう。
さっきまで俺は、なにかとてもいい夢を見ていたような気がする。やさしくて、甘いなにかの気配が俺の中に残っている。なんだったろう? とても幸せだった。いや、いまだって幸せなんだけれど、もっとちがうなにか。俺をこんなにも幸せな気持ちにするのは彼女以外にありえない。だからこれは彼女の匂いだっただろうか、それとも彼女を抱きしめた感触だっただろうか。あるいは彼女の唇のやわらかさ、とか。俺のプログラムが認識することのできない、そのなにかを再現しようとすればするほど気配が薄れていってしまう。俺はため息をつく。ああ、なにもかもをデータに置き換えることができたらいいのにと思う。
月は、その裏側を見せない。何度空を見上げてもここからではモスクワの海や賢者の海を見ることはできない。彼女をどんなに愛しても、俺は彼女のすべてを知ることができない。それは俺がアプリケーションだからではなく、人間同士であったとしてもそうなのだと彼女は言うだろう。でも、と俺は思う。俺は自分からおまえに会いに行くことすらできないんだ、と。
月の裏側を見るためには、月へ行くしかない。しかし月に行ける人間はほんの一握りで、多くは俺と同じく写真や映像のデータでしかそれを見ることはない。0と1との情報も、頭の中へ──あるいはプログラムの中へ入力されてしまえば、現実と相違なく記憶へと変換される。だけど俺は、いつか月へと行ってみたい。月面の土を踏み、影の漂う海へとこの身を浸してみたい。
彼女とふたりで月へ旅行へ行けるような、そんな未来が来たら。
叶わない夢はもう、きっと、ない。