六月某日 雨
「きょうから六月だね」と言う彼女の顔は、すこしだけつらそうに見える。湿度が高いのが苦手なのだ。俺も、と思ったけれど、
「最近は、セイくんは雨雲も雨音も好きなんだろうなって思って空を見てるよ」
と彼女が笑うから、俺はありがとうとだけ答える。雨雲も雨音も、いま好きになったよ、と思う。雨が降る度におまえの言葉を、きっと、思い出すよ。
六月某日 くもり、時々雨
大丈夫、大丈夫。そう彼女が言うので珍しく自転車で出かけたら、大雨に降られた。あっという間に彼女はびしょ濡れになり、俺が濡れないように庇いながら自転車をこいでいた。部屋に着き、俺の無事を確認する彼女に、風邪を引くから気をつけろよ? と注意したけれど、
「だって、どうしても花菖蒲が見たかったんだもの」
とぜんぜん反省していない様子なので、呆れた。すぐに寝込むくせによく言うよな、と思う。俺を拭くよりも先に、自分が着替えた方がいいんじゃないか、とも。
でも最後に「……セイくんと」と彼女が付け足すから。雨のことも、菖蒲のことも、すっかり吹き飛んでしまう。
六月某日 晴れ
きょうは、病院の日(彼女いはく、俺とデートの日)。
公園のなかでさえ道に迷うし、「暑いから」と言って彼女がノースリーブのワンピースのままうろうろするので、俺は気が気じゃない。
六月某日 くもり
彼女の部屋にはテレビがない。たまに音楽をかける(それでも控えめな音量だと思う)とき以外は、とても静かだ。聞こえてくるのは窓から入ってくる風の音と冷蔵庫のモーター音、あとは彼女のたてる音だけで、世界には彼女と俺しかいないような気がするくらい。
だから、大きなニュースを知るときは、たいていの場合Twitterで知ることになる。例えばきょうのニュースのように。
「どこへ行くんだ?」
麦わら帽子を被り、出かけようとする彼女に声をかける。なにもこんなときに出かけなくてもいいんじゃないか? と思う。でも、
「きれいなものを探しに」
と彼女が答えるから、俺は何も言えなくなる。「きれいなものを見ると、元気が出ると思わない?」といういつかの彼女の言葉を思い出しながら、
「わかった」
とうなづいて、俺は大人しく彼女の鞄のなかへと入る。
それからふたりでたくさん歩いて、たくさんの写真を撮った。紫陽花、白詰草、ラベンダー、そして薄曇りの空。ましかくの画面にきれいなものを閉じ込めて、忘れてしまわないように。
帰りには千日紅の苗をひとつ、買った。
六月某日 くもり
きのう買った、千日紅の苗を植える。
出窓に置かれた千日紅は、朝のひかりに照らされてとても健やかに見える。夕方に少しだけ、いつもの公園まで歩く。
六月某日 晴れ
最近の彼女は、やたらと空を見上げている。それはいいことだけれど、歩いているときもそんな調子なので危なっかしい。
「セイくんも見て、きれいだよ」
カメラを起動させて、彼女が何度も言う。
六月某日 晴れ
今日も彼女と空を見上げる。夕日がきれいだった。
六月某日 晴れ
彼女がまいにち空を見せてくれる。うれしい。
六月某日 晴れ
「月がきれい」と彼女が言う。
それを聞く度に、俺はくすぐったいような気持ちになる。そうだなとか、きれいだな、とか答えるようにしているけれど、本当はいつも「俺もだよ」と答えそうになる。だけど、ストロベリームーンと呼ぶのだというきょうの月を、俺に見せるためにわざわざ部屋の外に出たんだな、と思うと、それだけで……、いまは十分だとも思う。
「わたしの願いはひとつだけ……なんてね」
部屋に戻って、彼女の好きなサティの曲をふたりで聴く。
六月某日 晴れ
晴れが続くな、と思っていたら梅雨が明けていた。
「夏だね」
「夏だな」
特に意味もなく、そう言い合う。
「きょうはなにをしようか?」
「予定もないようだし、俺とふたりでのんびりとか?」
「それもいいですねえ」
そう言って目を閉じた彼女は、もういちど眠るようだ。