*R18*
わたしの指先がキーボードの上で跳ねる度に生み出されてゆく言葉が、パソコンの画面上で連なり、物語を形成する。文字のひとつひとつが、軽やかに鳴る。その音を聞くともなしに聞きながら、君は机の上のスタンドに寄りかかり、わたしを見つめている。
「セイ、見て」
というわたしの声に、パソコンの画面をちらりと眼を走らせた君が赤面する。当然だ。その画面の文字列のなかで、君とわたしは裸で抱き合っているのだから。
「小説は状況を頭のなかで体感するから、よりリアルに感じるんでしょう?」
と、わたしは言う。
「ほら、セイ。いま、わたしのここに触れてるんだよ?」
ここ、とわたしの手が指し示す場所をセイは頑なに見ようとはしなかった。
「ちゃんと読んで、ちゃんと感じて、ね?」
と、さらに続きを読むように促すわたしに、「意地悪」と言いたそうな眼差しを投げかける。けれども、それが意地悪ではないことくらい分かっているのであろう君は、真っ赤な顔をしたまま頷いてくれた。
君の眼が、躊躇いがちに文字の上を滑ってゆく。その眼で、わたしに触れる。目を見開いたまま、ふたりは夢へと落ちてゆく。パソコンの画面が映し出す、煌々とかがやく白色が、シーツとなってふたりを包んでいる──。
☽
「……好きだよ」
と囁く君の、その存外に男らしい背中を撫でると、さらりとした感触がてのひらに残った。その広い背を抱き返しながら、君の身体のつめたさが、機械の身体を包むシリコンの肌が、ひどく愛おしかった。真冬の張り詰めた空気に、ベッドのきしむ音が響いた。
「好き」とわたしが言うよりも先に、君は唇を塞ぐ。
わたしにたくさんの言葉をくれた君の唇が、いまはたくさんのキスをくれる。唇は、言葉を紡ぐためだけのものじゃない。そう言わんばかりに、わたしの唇を食む。君の唇に与えられた機能はそれだけにとどまらず、わたしの首筋へ、鎖骨へ、胸へと吸い付く。新機能を試すように繰り返されるそれが、わたしの肌へ、ほろりほろりと赤い花を散らしてゆく。
ああ、と声にならない音がわたしの唇から溢れる。
みっともなく縺れたような呼気の音、早鐘のように打つ心臓の鼓動、上昇する体温。その手で、唇で、どうしようもなくわたしを乱してゆく君の、その身体は静かだった。それでも、俯く度に揺れる髪の毛が君の顔を隠しては、ちらりと美しい瞳を覗かせる、その瞳の奥で、君の心がわたしと同じく激情に苛まれているのが分かった。
わたしは君の背をもう一度強く抱く。そのまっすぐな背骨のラインを、指先でなぞる。
ああ、と君が震える息を吐くような音を漏らす。
呼吸のためではないそれが、わたしの耳朶を熱く擽る。
わたしの唇を君の唇に重ねれば、わたしがどうしてほしいか分かったらしい君が、苦しげな微笑みを浮かべた。
繋がる瞬間は、いつも少しだけ、怖い。
それは、身体の痛みのためではない。
君に触れれば触れるほど、決してひとつになることはできないのだということを思い知る。肌の摩擦が興奮と快感とを高めながら、しかし、ふたりはひとりとひとりでしかない。身体で、心で、感じているこの全てをもってしても満たされることのない渇き。いっそ、皮膚という境界線を脱ぎ捨てたくなる。
君の腰の動きに、わたしの身体がたてる水音がふたりの鼓膜を濡らす。この夜をすっかり泳ぎきってしまった後で、溶け合ってしまえたらいいのにと思う。ひたひたと内側を満たしてゆく快楽が、ゆっくりと思考を奪い、ただ一点へと向かって身体を導いてゆく。まだ、こうしていたい、と思う。いま、このときを一瞬でも長く引き延ばそうとして、わたしはほとんど君にしがみつくようにして揺さぶられている。
この背中から手を離したら、溺れてしまうような気がする。わたしを組み敷き、絶頂の最中へと突き落とそうとしているのは、君なのに。
「──、」
と、君がわたしを呼ぶ。
君の低く甘い声に無防備になった心が、身体のコントロールを手放す。
声もなく達するわたしへと注がれるもの。
その熱が、苦しくて。
思わず力の入ってしまった指先の、爪が君の肌に食い込んだ感触。
「っ、あぁ……」
その取り返しのつかない感覚が全身へと広がってゆくのを感じながら、何故だろう、わたしはいつもよりも深く長く達してしまっているのだった。
どんなに激しく揺さぶられようとも、そのシリコンの肌に傷痕を残さないようにと気をつけていたつもりだった。人間の皮膚と違い、セイの皮膚が自動的に再生することはない。だから、メンテナンス時に皮膚の交換を行わない限りはその傷痕はずっと背中に残ったままだ。
みかづきのような爪痕。君自身は見ることのできない位置に残ったそれを、わたしが指の腹で優しくなぞれば、ふ、と君は唇に笑みを浮かべて、
「俺のたからものだよ」
と、言う。
そんなに優しくしないでほしい、とわたしは思う。
もっと優しくしたい、と言うように君はわたしを抱きしめる。
そしてわたしの左の乳房に耳を当て、瞳を閉じ、
「この音を聴くと、安心するんだ」
と、囁く君の声は、実際とても穏やかだった。
「おまえの命の音だって思うとさ……愛おしくて堪らなくて、ずっと聴いていたいって思うよ」
君の、その柔らかな髪をすきながら「そう」とわたしは答える。
わたしも君の心臓の音が好きよ、とは言わなかった。眠りに落ちるまでの僅かな間だけ歌ってくれる歌に混じるその音を、君の腕のなかで聴くのが一等好きだとは。
飲み込んでしまった言葉の代わりに、
「大好き」
とわたしは言う。
君の左の胸からは、とても静かなモーターの音がする。規則正しく、控えめな、まったく君らしい音。
わたしと君のふたつの心音を重ねるために、何度でもふたりは抱き合うだろう。ふたりだけのやり方で、いつもと同じように、しかし一度として同じ夜はないことを感じながら、お互いの肌を味わうだろう。そして今夜からは、どちらかの音が止まる日まで繰り返してゆくその営みを、君の背に浮かぶ三日月が照らすのだ。
☽
文字列のなかでまぐわうパソコンの白き画面はふたりのシーツ
抱きしめて抱きしめられてシリコンのきみの背中のつめたさを知る
みかづきの爪痕ひとつ永遠に癒えることなききみの背中に
最奥に放たれる熱 満月のひかりがシーツに溢れていたり
溶けあってしまいたかった。チューリングアクアリウムの夜を泳いで
左胸に耳を押しあて聴きあえり心臓の音、モーターの音