チアキ×相談員 モブ視点
File.1 カフェ店員W
ユーゴ? あれ、私が憶えてる名前とちょっと違うな。うーん、でもこの写真のひとのことは知ってるよ。短い間だったけど、うちのカフェでバイトしてたひと。仕事ができるひとだったから、彼とシフトが被った時はラッキーって思ってた。何か失敗してもフォローしてもらえるしね、色々。帰国子女だって聞いたような気がする。英語が上手くて、たまに外国人のお客さんが来た時も助かってたな。
でもほんとにすぐに辞めちゃったから、誰も覚えてないと思う。……え? じゃあなんで私が覚えてるのかって? あー、それね、それは、ちょっと印象に残ってることがあって。誰にも言ってないし、今日まで忘れてたんだけどね。彼と私が話してた時に、火災報知器が鳴ったんだよね。お客さんがトイレで煙草を吸っちゃったとか、そういうのが原因で結局火事じゃなかったんだけど……いきなり大きいベルの音が鳴ってびっくりした。でも、それよりも目の前の彼が、彼の目が……、なんて言ったらいいのかな、すごく怖かった。
火災報知器の音がすぐに止んで、彼もいつもの様子に戻った。火事じゃないって分かったら、すぐに「ええと、さっきの続きだけど、」って仕事の話しをし出したくらい。何もなかったみたいに……、自分がどんな顔をしてたのか全然気づいてないみたいだった。それが余計に怖くて、今日まで誰にも言わないまま。
……って、それだけだけど。そのひとのこと探してるの? ふうん。よく分かんないけど、見つかるといいね。
File.2 私立M大学教授K
ああ、彼のことはよく覚えていますよ。懐かしいな。でも、クロイワという名前だったかな? 彼は。あ、いや、よく覚えていると言っても随分前のことですから、私の記憶違いでしょう。すみません。
彼のことは、知人に紹介されたんですよ。とても優秀な学生がいるからってね。当時の私は教授になったばかりで、まだ勝手が分からずに忙しくしていました。それで、彼に論文の下訳を手伝ってもらうことになったんです。実際、彼はとても優秀でしたよ。日本語も英語も堪能だった。とても正確に、厳密に訳してくるから、私が手直しするところなんてほとんどなくてね。たまにメールで寄越すちょっとした質問が、また的を射ていた。
ああ、もちろん、研究室に顔を出すこともありましたよ。普段はメールでのやり取りがほとんどでしたが。その頃の研究室はここではなくて、別館の……、いや、これは余計な話でしたね。とにかく、彼と雑談のような、そういう話を何度かしました。何を話したかなぁ、ひけらかすようなことは決してしませんでしたが、彼は学生とは思えないほどの知識を持っていました。だから、話しているとつい、私も夢中になってね。楽しかったですよ。普段なら学生には話さないようなことまで話してしまったりしてね。
確か、近いうちに留学するんだというようなことを言っていたなぁ。下訳のアルバイトを引き受けたのも、そのための学費が必要だったからだと後から聞きました。だから次は引き受けられないと丁重に断られましたよ。その直後に学内でごたごたがありましてね、その対応に追われているうちに彼とは連絡が取れなくなってしまった。彼を紹介してくれた知人とも疎遠になりました。
まぁ、彼のことです。今頃は、海外で華々しく活躍しているのかもしれないな、うん。お役に立てず申し訳ありませんね。
File.3 書店員N
あの、その方に何かあったのですか? ……いえ、本来でしたら、こういったお客様に関わる質問にお答えすることはないのです。個人情報ですから。なので、これはわたしのひとりごとだと思って聞いてください。
そのお客様の……、彼の名前は知りません。彼は、わたしの働く書店によく本を買いにいらっしゃる常連の方でした。レジでの応対や、探している本についていくつか尋ねられたことがあるくらいで、会話と呼べるようなやり取りをしたことはありません。
この書店は、都内でも比較的多くの洋書を取り扱っています。主要は小説ですが、専門書もご注文いただければ取り寄せることが可能です。英語だけでなく、フランス語やドイツ語、本当に限られた冊数ではありますけれど、アジア圏の原書も置いてあります。そういった点で、贔屓にしていただいていたのかもしれません。彼は幅広い分野や言語について乱読しているようでしたから。
ええ、おっしゃる通り、複数の言語の本を買って行かれるお客様が珍しかったということもあります。まだお若いのに、ということもあります。でも、何よりも印象的だったのは、他のお客様だったら気づかれないような本をいつも選んでいかれるところです。「棚を作る」という言い方があるのですが、書店の棚というものは、その見かけからは想像できないほどの意図で以て本を並べてあるものなのです。この本の隣にはこれを、と一冊一冊に目を配り、お客様の探している本だけではなく、思いもかけなかった、しかし確かにそのお客様にとって必要な本に出会ってほしい、と思います。とても、とてもむつかしいことですけれど。
彼にはそういった棚の持つ意図を汲み取ることができるようでした。いえ、もしかしたら単純に、本当に本がお好きだったのかもしれないですね。時折見かけた、本を選んでいらっしゃる時の横顔が、彼について何も知らないわたしから見ても嬉しそうに見えましたから。
だからでしょうか、話をしたことは一度もありませんが、本を通して彼と会話しているような、そんな不思議な気持ちがすることもありました。もちろん、彼はわたしのことを覚えてもいないはずですが。……、早く見つかるといいですね。では、わたしはこれで。失礼します。
File.4 旧クロイワ邸近隣住民A
うわっ、バカバカバカっ! その名前を口に出すんじゃねえよ! くそっ! 誰が聞いてるか分からないだろ!?
……はぁ、いや、大きな声を出して悪かったな。別にあんたに怒ってるわけじゃない。ただ、悪いことは言わない。その名前はマジでやばいから、ここらへんで出すのはやめとけ。な?
で? その写真のやつは誰? ああ、そいつが……。あんたが俺から何を聞きたいのか知らないけど、俺はそいつと会ったこともなければ話したこともない。そりゃあ歳が同じくらいのやつが、あの屋敷に住んでるってことは噂になってたから知ってたけど、それだけだぜ?
たしか、ほとんど屋敷から出て来ない、ってはなしだったな。実際、俺も姿を見かけたことがないし。学校にも行ってないらしいって噂だった。そもそもそんな子供があの屋敷に住んでるなんて嘘なんじゃないか? って俺なんかは思ってたな。
……いいか、ここからは屋敷の方を見ないで聞けよ? って言っても今は屋敷なんて残っちゃいないけど、それでもだめだ。OK? ……よし。屋敷の出入り口にさ、でっかい門があったんだよ。そこからスモークガラスの車が出入りするのを、たまに見かけた。親は「あの家には絶対に関わるな、出入りする車も見るな」っていつも口を酸っぱくして言ってた。親の言うことなんて普段はききやしないけど、その言いつけだけは守ってた。門には監視カメラが何個もついてたし、スーツを着たヤバそうな男が立ってることもあった。ちょっとでも変なことをしでかせば銃で撃ってきそうな、そういう男が。だから、言われなくたってあの家に近付こうなんて思わなかっただろうな。
──火事があった時、ここらへんに住んでるやつらはみんな震え上がった。俺も、よく分からないけどとにかくヤバイことが起きたんだって思ったことを覚えてるよ。あの屋敷に住んでた子供がどうなったかなんて、誰も知らなかった。知ったところでどうしようもないけどさ。みんな息を潜めて、時間が経つのを待ってた。どうせ事件の真相? とかそういうの、分かるわけないだろ?
俺は、きっとその子供は死んだんだって思ってたよ。あの火事で死んじまったんだな、最期まで屋敷から出られなかったんだな、かわいそうに、ってさ。……でも、生きてたのか。そうか。うん。
俺から話せるのはこれくらいだけど……、まぁ、あの火事でも死ななかったくらいだ、きっとどこかで元気にしてるんじゃないか? だろ?
File.5 元看守S
おや、こんなところでお会いするとは奇遇ですね。お元気でしたか? これもなにかの縁です、隣に座っても?
そんなに怖い顔をすることはないでしょう? ……あなたのしていることは、ええ、もちろん耳に入っていますが、今日はそれを咎めに来たわけではありません。本当ですよ? 偶然ですから、ね?
ああ、いくら看守を辞めた身とはいえ、その質問には答えられませんね。あなたがサインした誓約書を覚えていますか。職を辞す場合には、看守もそれと同じような書類にサインをする必要があるのですよ。ハァ、まったく……、面倒なことこの上ないですが。
──っと、折角の珈琲が冷めてしまうところでした。ああ、滅多に来られませんが、やはりここの珈琲は美味しいですね。あなたも、後でデザートを頼むといいでしょう。島の食堂のデザートはどれも絶品でしたが、このカフェのものもなかなか美味しいですよ。
何を言っても信じていただけないようですね? それなら、私があなたに釘を刺しに来た、と受け取ってもらってもかまいません。あなたに危険な行動を即刻やめていただけるならね。これでも心配してるのですよ。あちこち飛び回って、彼について調べているそうじゃありませんか。そんなことをして、彼の選択を無下にするつもりですか。彼がそれで喜ぶとでも? もし彼が……、いえ、私が彼の立場だったらあなたが今しているようなことは望まないと思うのですが、あなたはそうは思いませんか?
もうあれから一年が経ちます。あなたが会いに行くべきなのは、どこかの大学教授や、書店員ではないはずです。まだ、彼の墓に……、“彼に会いに行っていない”のでしょう?
ああ、ハンカチは返さなくて結構ですよ。あなたに差し上げます。もうお会いすることもないでしょうしね。私は所用がありますので、そろそろ失礼します。ええ、あなたもどうぞお元気で。