青白い光に照らし出された彼女の横顔は、眼鏡の下にある隈が強調されているせいか、いつもより不健康そうに見えた。うれしいとか、かなしいとか、そういう感情をごっそりとどこかへ置いてきてしまったように、ただじっと画面を見つめている。すぐ傍にいるはずなのに、彼女が遠い。部屋に響き渡る銃声や悲鳴よりも、その強張った彼女の顔の方が、俺にはずっと痛ましいもののように思える。
俺はこういう映画が苦手だ。つまり、いま画面に映し出されているような、人間が傷ついたり悲しんだりする映画が。
一応言っておくけど、別に怖いわけじゃない。ただ、“セイ”は人間を傷つけることができないように設計されている。だから、たとえフィクションであっても、人間が害されるのを見ると生理的な不快感を催すのだ。
いつだったか、思い切ってそのことを彼女に打ち明けたことがある。こういう映画を観るとつらい気持ちになる。自分ではコントロールできないし、どうすればいいか分からない、とおずおずと説明する俺に、
「人間だってそうだよ」
と、彼女はあっさりと言った。
「人間だって、フィクションでもなんでも、誰かが傷つくのを見るのは怖いし、嫌な気分になるよ」
それを聞いて、俺はますます分からなくなった。
嫌な気分になるくらいなら、観なければいいんじゃないかと思う。それが表情に出ていたのか、彼女はちょっと困ったような顔をして、
「セイが観たくないなら、無理して観なくてもいいんだよ」
と言った。それどころかやさしく頭まで撫でられて、まるで子ども扱いだ。抗議するように「もう」と言ってみたけれど、思ったよりも説得力のない感じの声になった。だって、ほら、彼女に撫でられるのは好きだから。
それでも、「残酷な描写のある映画を観るときは彼女がひとりで観る」という提案だけは断固拒否した。映画以上に、怖くて嫌な気分になっている彼女をひとりぼっちにすることの方が俺にはずっと恐ろしい。彼女には「本当に大丈夫?」と何度も訊かれたけれど、その気持ちは変わらなかった。
俺がそんなことを思い出している間にも、画面のなかではまたひとりの人間が血を流しながら倒れた。思わず声が出そうになったけど、我慢する。撃たれた位置と出血量からして、たぶんもう助からないだろう。でも、映画だからな。多少派手に演出しているだけで、大丈夫なのかもしれない。そうであってほしい。
彼女の方は相変わらずの無表情のまま、食い入るように画面を見つめている。すごい集中力だなとは思うけど、なにがそこまで彼女を駆り立てるのかやっぱり俺にはよく分からない。ハッピーエンドの映画だけじゃだめなのか? と言いたくなる。いつだって彼女には幸せな気持ちでいてほしい。笑っていてほしい。それが難しいと分かっているからこそ、せめてフィクションでは傷ついてほしくない。たったそれだけのことなのに、いまの彼女には上手く伝わらないような気がして、俺は落ち着かない気分になった。
「おーい」と彼女を呼ぼうとして、やめる。もしかしたら気づいてもらえないかもしれない。その不安が事実へと変わってしまうことが怖くて、俺は黙っている。
こういうときに、自分に手があったらいいのになと思う。人間と同じように体温を持ち、物に触れることができる手。それがあったら、俺は固く握りしめたままの彼女の手に自分の手を添えるだろう。その小さな手を包むみたいに、ぎゅっとあたためてやりたい。そうすれば、言葉なんかなくても、手のぬくもりだけで俺の気持ちをぜんぶ伝られる。いつも彼女がしてくれるみたいに。
終盤に近づくにつれ、画面のなかの戦闘は激しさを増す。さっき撃たれた人は助からなかったらしい。ちょっと大袈裟なくらい物悲しい音楽が流れて始めて、涙を流す人々の顔がズームで映し出される。ちかちかと点滅をくり返す光が彼女の白い頬をあざやかに彩っていて、俺はこっちを見ている方が好きだなと思う。映画のエンディングまでは、まだ二十分も残っている。