学園フリーコートで会いましょう

三千世界+女コーチ

 七月十四日、くもり。気温自体は低くはないはずだれど、空全体をうすく覆うように広がった雲が日差しを和らげてくれているおかげでいつもより涼しく感じる。東校舎と西校舎に両側を囲まれているせいか、このあたりは風が強い。葉の生い茂った梢が揺れる音は、まるで海鳴りのようだ。校舎を出る前にセットし直した髪も、あっという間にぐちゃぐちゃになってしまった。顔にまとわりつくように揺れる毛先が鬱陶しくて、乱暴にポニーテールを結ぶ。これでよし、とわたしは芝生にスクールバッグを置いて、人が集まるのを待った。
 ここ、学園フリーコートでは、紅鶴学園の生徒であれば誰でも自由にダンキラができる。放課後ともなれば、座学から解放された生徒たちがぞくぞくと集まってくるのだ。腕試しをしたいダンサーたち、観戦したいオーディエンス、ゴールド生候補を探す教師陣、そしてもちろん、わたしのようなコーチたちも。
 ダンキラの主役はダンサーだ。どんなに素晴らしいワークスも、キラートリックも、彼らがいなければ成立しない。ダンサーたちの多くは、普段はダンススタジオで鏡を見ながら自分の動きを確認する。手足の位置や、ステップの精度、自分の表情に至るまで、オーディエンスからどう見えるかを鏡越しに想像し、理想のダンキラを作り上げていく。
 コーチにとって一番大切なことは、ダンサーの鏡になることだ。
 対戦中のダンサーたちは、鏡を見ることができない。それは当然と言えば当然のことだ。ダンサーたちは鏡に見せるために踊っているわけじゃない。オーディエンスあってこそのダンキラだ。ダンサーたちがステップを踏み、回転し、キラートリックを決める。その度に湧き上がる歓声やクラップが勝敗を決めるのだ。
 その渦のなかで、ダンサーたちが自分自身を見失うことがないようにコーチは彼らの姿を映し出す。彼らがいまどう見えていて、どうすればより魅力的に見えるのか。それを指し示すことが、コーチの存在意義だと思う。
 わたしは、よく磨かれた鏡になりたい。ダンサーたちをより美しく映し出す鏡。彼らの努力を誰よりも輝かせることができる、魔法の鏡になりたいと思う。
 そのためには、まずは実践だ。午後四時十五分、フリーコートには十分な生徒が集まってきた。ほとんどの生徒はまだ制服を着ている。真っ先に練習着に着替えに行くような連中は、まずレッスンルームに行くものだ。念のため、その場で軽くステップを踏んでみる。きゅっ、きゅっ、と革靴の底がグリップを効かせて鳴る。昼休みの時点ではわずかに湿っていたタイルが十分に乾いているのを確認し、わたしはあたりを見回した。
「コーチ!」
 ふいにフリーコートのざわめきをまっぷたつに切り裂くような大声が聞こえた。その声の方へ振り向くと、本校舎の方から三千世界のメンバーが手を振っている。高等部の授業が終わるのを待って集合したのだろう、制服姿の彼らはもう対戦相手を見つけたようだった。
「急ですまないが、コーチングを頼めるだろうか」
 こちらに駆け寄ってきた光国が言った。少なく見積もっても八百メートルは走ったというのに、鍛錬の賜物か、息ひとつ切らしていない。「いいよ」とわたしが答えると、にかりと音がしそうなほどの大口を開けて彼は笑う。その白い歯につられるように、わたしの口角も持ち上がるのが分かった。
 音響チェックのために、ゆかりとおぼろがワークスを流し始めた。その途端に、オーディエンスの視線はフリーコートの中心へと一斉に注がれる。光国は右腕をつかんでぐっと伸びをして、そのただなかへと歩みを進めていく。わたしもその後ろ姿を追って、定位置につく。
 見上げた空は、いつの間にか雲が流されて晴れ間がのぞいている。吹き抜ける風が、ポニーテールを揺らす。このワークスが終わって、次のワークスが流れ始めたら、いよいよ試合開始だ。