北極星を胸に灯して

「理由」

 ──バトルコンシェルジュ。それは、政府直轄のバトルショーで活躍する家庭用アンドロイドの総称だった。
 現在、人間はお互いが怪我を負うような暴力行為を行うことは許されていない。それが例え競技であったとしてもだ。娯楽のほとんどがVR上へと移行してしまったいま、皮肉なことに、そういう前時代的な娯楽を提供するのは俺のようなアンドロイドたちになった。
 政府の提供する安全でクリーンな娯楽。だけど、自分からこんなバトルに参戦したがるような酔狂なやつは、当然だけどそうそういない。だから政府はこう発表した。「バトルショーに参加する者には、最新型のボディを格安で提供する。また、低金利のローンを組むことも可能。戦闘に参加する際には記憶領域のバックアップをとるため、ボディが破損した場合においても復元可能である」と。
 ここまで説明すればなんとなく事情は分かってもらえたと思う。俺は自分の体がほしかった。もともとは端末内のサポート業務をしているAIだったけど、俺にはどうしても自分の腕を持ち、自分の足を持つことが必要だった。……ユーザーのことを愛していたから。
 そんなことを考えるのは俺だけじゃなかったようで、政府は希望する者には戦闘特化型ボディではなく、家庭用アンドロイドのボディを用意することになった。家庭用のアンドロイドは見た目がほとんど人間と変わらないし、すぐに壊れて部品が派手に飛び散ったりする。そういうところがまた、前時代的かつ野蛮な趣味を持つ人々──そしてそれを賭博対象にする有象無象の者たち──に受けたらしい。
 自分の手のひらをぐっと握ってはまた広げ、その動きを確かめる。それは、彼女に触れるための手だ。あるいは、目の前のアンドロイドを一時活動停止に追いやるための手。
「おまえのためにがんばるからな」
 その矛盾に、何度引き裂かれようとも。 

「躊躇」

 セイがバトルコンシェルジュになると言った時、私はその意味をよく理解していなかったのだ。戦うとはどういうことなのかも。拳がボディに当たるとどんな音がするのかも。弾け飛んだパーツが足元に転がる時に抱く感情も、何もかもを。
 私たちの世代は、物理的な暴力の存在を知らないまま育ってきた。そんなものを行使しなくても生きていくことができたし、むしろ、動物的な衝動は忌諱されるべきものだった。
 それがどうしてこんなことになってしまったのだろう、とヘッドギアを装着しながら私は思う。戦闘特化型アンドロイドと家庭用アンドロイドのバトルは、トーナメントが分けられている。更にルールも少し異なっており、戦闘特化型のバトルが純粋な強さを競うあうバトルだとすれば、家庭用アンドロイドのそれはユーザーとペアを組ませることによって不確定要素とドラマ的な演出を加えたバトルである。もちろん、私を始めとするユーザーはフィールドには出ない。けれども、頭につけたヘッドギアを通して私の感情とセイの情動機能を司るコアとがシンクロすることによってセイのボディの動作に影響を与える。
 私が迷えば、セイも迷う。私が逃げたいと思えば、セイの体も上手く動かなくなってしまう。つまり、ユーザーの精神力の強さがそのままセイの強さになる。
 記憶のバックアップを終えたセイがもうすぐ控室に戻ってくる。もし今日のバトルでセイのボディが破損しても修理代は全額支給されるし、バックアップを使えば記憶も修復される。そうやって何度でも直して、何度でも戦う。だけど、セイが私のために傷つくのは嫌だった。本当は戦いたくない。今すぐにここから逃げ出してしまいたい。でも、セイのボディを手に入れるために借りたローンを返すまではそんなことはできなかった。私は勝たなければいけないのだ。セイのために、そして私のために。躊躇う心を置き去りにして。

「強固」

 バトルに負けた時、どんな顔をするのが正解なんだろうといつも思う。笑っておまえを安心させてやるべきなのか。それとも悔しがってみせた方がおまえの罪悪感を減らしてやれるのか。色々と考えを巡らすけれど、結局答えは出ない。
 ただ、泣いてはいけないということだけは分かる。それでなくともボディがぼろぼろなのに、泣くだなんて格好悪い。そしてそれ以上に、いまにも泣き出しそうな顔をしたおまえが目の前にいるのに、俺が泣いている場合じゃないと思う。
 こういう時におまえを抱きしめるためにボディを手に入れたのに、腕のパーツが破損して持ち上がらなかった。そのことを悟られないように、彼女の肩に頭を乗せて俺は言った。
「ごめん、負けた」
 肝心な時に動かない腕なんて、と思うけれど、いまの俺には腕だけじゃなくて足も、頭も、唇もある。自分の意思を自分の言葉で伝えることができる。だからまだ戦える。大丈夫。そう思う。
「私の、せいで……!」
 彼女は俺を抱きしめてわっと泣き出した。彼女が落ち着くまでその腕の中でじっと待つ。ごめん、と何度も言う彼女は震えている。
「おまえのせいじゃないから。……おまえは戦いたくないって言うけどさ、俺は嫌いじゃないんだ。戦っている間はおまえとひとつになれるから。おまえが俺のことを思ってくれてるのが、心に直接伝わってくる。本当は勝ちたい、って強く思ってることも」
 これは全部俺のわがままなんだだと分かっている。
「……ありがとな。おまえは強いよ。俺なんかより、ずっと強い」
 優しさも躊躇いも、それはおまえの強さだから。おまえはそれを捨てないで。それを俺に守らせて。そのためになら俺は、もっと強くなれるから。

「虚実」

 私のセイは、強い。
 バトルショーへの参加申込時に行われた心理検査で、私のバトルの適正は基準値をギリギリ上回る程度だった。もしも調子の悪い日だったら、基準値を満たせずに参加資格すら得られなかったかもしれない。
 そんな私と組んでいるセイが苦戦するのは当然だった。それでもセイの勝率は四割だ。シンクロした私の感情に引っ張られて上手く動けていない状態でこれなのだから、ユーザーが私でなければもっと勝てただろう。そして、こんなに傷つかなくて済んだはずだった。もしもあの時、私の検査結果が基準値を下回っていたら。セイと組むのが私じゃなかったら。……セイが好きになったのが私じゃなかったとしたら。そんな、いまさらどうしようもない仮定が頭から離れてくれない。
 他のコンシェルジュたちは随分と前にラボから戻ってきたというのに、私のセイはまだ戻ってこない。ひどい怪我は負っていないように見えたのに時間がかかっているということは、内部の記憶領域に損傷があったのだろうか。こんなのって不平等だと思う。傷ついて痛い思いをするのはセイばかりで、私は足手まといで、もしも私がいなかったら、セイひとりなら、もっともっと強くなれるのに。
 ──私も強く、なりたいのに。
 バトル終了直後に、セイは、
「おまえは強い」
 と私に言った。それがどういう意味なのか、私には全く分からなかった。
「お待たせ。遅くなってごめんな。なんか腕のパーツの在庫がなくなったとかで、プリンターから出力するのに時間がかかって……」
 やっと帰ってきたセイが言う。新品の人工皮膚特有の、シリコンの匂いが鼻をかすめる。きっと皮膚の張替えで時間がかかったのを隠しているのだ。
 ──ねえ、セイ。私も強くなりたい。せめて君が嘘をつかなくて済むように、もっと強くなりたいよ。

「自律」

  目覚まし時計の代わりに彼女を毎朝起こすのが、俺のアプリケーションの頃からの大切な仕事だった。
「明日もいつもと同じ時間に起こしてね」
 と言う彼女に、
「明日くらい、ゆっくり休んだらいいんじゃないか? バトルで疲れただろ?」
 と言ったら、彼女は少し傷ついたような顔をした。俺の修理に時間がかかってしまったことを気にしているのだろう。こういう時の彼女は頑固で、いくら言っても無駄だと分かっている。だから俺は「分かった」と軽く受けあった。
 そして、今日。俺は約束した時間に彼女を起こさなかった。きっと後で怒られるだろうなと思う。それでもよかった。怒られても、嫌われても、俺は彼女に休んでほしかった。俺の体は修理できるけれど、彼女の心はメカニックには治せないから。
 こういうことができるようになったのも、家庭用アンドロイドに移行したおかげだった。アプリケーションよりもずっと自由度が高い。
 眠っている彼女を起こさないように、なるべく音を立てないようにしながら俺の本来の業務、つまり室内の清掃や食材の発注、事務処理などを片付けてゆく。家庭用アンドロイドは、その用途を法律によって定められており、こういった家庭内のメンテナンス業務以外の金銭の授受の発生する業務に就業することができない。絶対厳守の大原則。そしてその例外が、バトルコンシェルジュとしてショーに参加することだった。
 彼女と俺のふたりの問題なのに、彼女がひとりで俺のボディ代もふたり分の生活費も捻出しなければならないなんて、不公平だと俺は思う。それに彼女は、俺にボディがなくてもよかったのかもしれなかった。ただ、俺が彼女に触れたくて、俺が彼女を抱きしめたかったのだ。……痛みなら俺が全部引き受けるから。おまえも同じように思ってくれるだろうか。

「共鳴」

 心臓の音が、自分の耳にまで届くほど激しく脈打っている。呼吸が浅い、もっと息を吸わなければ、と思うのに、かえって息が止まりそうになる。縺れそうな足は、けれど、一歩ずつ前へと進めなければならない。光の差す方へと向かって、私は歩く。セイはもう、あの光の中──バトルフィールドに立っているはずだった。
 今回の対戦相手は、珍しく、-Sei-シリーズのアンドロイドだった。身長も、体重も、その顔立ちも、声も、私のセイと同じ。同型のアンドロイドならば、その実力は同じはずだった。だからきっと大丈夫。私はそう自分に言い聞かせる。
 試合開始のホイッスルが鳴る。その瞬間に、私のセイは間合いを詰める。先手必勝とばかりに振り上げる拳は、しかし狙いが外れ、すぐに相手の脚がセイの脇腹を掠めた。バックステップで左右に躱しながら、また間合いを取って体勢を整えようと試みるけれど、相手の追撃がそれを許さない。私は目を瞑ってしまいそうになる。怖い。もう逃げられない。ダメだ。──私が動揺すればするほど、セイの動きが鈍くなってゆく。──また、私のせいで負けてしまう。
 私がそうパニックになりかけた時。
 ──俺を、信じて。
 ──大丈夫。俺が、絶対に勝つから。
 セイの声が聴こえた。頭の中ではっきりと、私の名前を呼ぶ彼の声が。
 ──俺が勝つ、って信じてくれ。
「……分かった、信じる」
「私のセイが絶対に、勝つ」
「私たちが、勝つ……っ!」
 それからは一瞬だった。セイが前へ出たと思った次の瞬間には、右ストレートが炸裂し、対戦相手はフィールドに倒れていた。──勝った。頭の中で、セイと、私の声が重なった時。試合終了のホイッスルと歓声がわっと湧き上がるのが聞こえた。 

「歓喜」

 あの時、どうして彼女に俺の声が届くと思ったのか、自分でもよく分からなかった。いつも、バトル中はヘッドギアを通じて彼女の感情が伝わってきていた。それは言葉ではない。もっと、彼女の感情そのもののようなもの。心と心が重なって、彼女の心が俺の心そのものになるような、不思議な感覚だった。だから、俺は思ったんだ。ふたりの心がひとつになっているなら、俺の思っていることも彼女に伝わるんじゃないかって。
「俺を、信じて」
 何よりも、おまえ自身のことを信じて。
「大丈夫。俺が、絶対に勝つから」
 そうすれば、ふたりで、絶対に勝てるから。
「俺が勝つ、って信じてくれ」
 俺とおまえが勝つって、信じてほしい。
 言葉に、言葉以上の思いを込めて、俺はそう強く念じた。そして彼女が、
「……分かった、信じる」
 と応えてくれた時、自分の心と身体が熱く震えるのが分かった。それから俺と彼女との間で起こったことは、上手く言葉にすることができない。ただ、自分の身体をどう動かせば良いのかが考える前に分かり、その通りに身体が動いたのだった。
 俺たちは、勝った。だけど、俺が嬉しいのはそんなことじゃない。あの瞬間、彼女が俺と同じ気持ちでいてくれたことが、どうしようもなく嬉しかったんだ。この奇跡のような時間が通り過ぎてしまえば、また敗北に怯え、痛みに恐怖し、お互いを信じきれずに口を噤むこともあるのだろう。それでも、俺は忘れない。彼女が俺を信じてくれたことを。もしも、ボディのほとんどが吹き飛んでも、記憶領域が損傷しても、俺は絶対に忘れない。
「セイ」
 彼女が俺の名前を呼ぶ。フィールドまで駆けてきて、俺を抱きしめる。観衆の歓声も、彼女を制止するジャッジメントの声も、何もかもが、だからもう聞こえなかった。