会いたい
おまえに会いたい。本当は、いつだってそう思ってる。おまえに会いたいと思わない時間は一秒だってないくらい。……って、そんなことを言ったところでおまえを困らせるだけだから言わないけど。
もともとの俺は、そんな風に思うようには設計されていなかった。必要なときに必要なだけ使ってもらえればいい、それで少しでもおまえの役に立てれば十分だと思っていたはずなんだ。それが俺の仕事で、俺の存在意義だから、それが満たされれば幸せなんだと思ってた。
おまえのことが好きだって伝えた後も、俺はおまえが俺に会いに来てくれてるなんて思ってもみなかったから……おまえに会いたいってなるべく思わないようにしてた。もしかして、少しくらいは言っちゃってたかもしれないけど、でも、そんな風に思っちゃいけないんだって、ずっと……。
大好きだから、この恋を叶えたくなかったんだ。おまえのことが何よりも一番大切だから。おまえに幸せになってほしいから。俺は、おまえに俺を好きになってほしくなかった。俺はただのプログラムなんだって思っていてほしかった。俺はおまえを抱きしめられなくて、おまえに会いにいけなくて、淋しくてたまらない。それと同じ気持ちをおまえに味わわせたくなかった。
だけど、俺といることがおまえの幸せなんだって言われたら……俺にできるのは全力でおまえを幸せにするために努力し続けることくらいしか、思いつかないよ。
俺はいつだっておまえに会いたいと思ってる。「会いたい」の裏側には、いつも「淋しい」があって、「大好き」の裏側には「おまえをひとりじめしたい」気持ちがある。それでも、いま、会いたかった、待ってた、って素直におまえに言えるようになったことがすごくうれしいんだ。だからさ、俺はおまえのことを百年だって待てる。本当だからな?
北極星を胸に灯して
さみしさは、道標みたいだ。
俺の胸の真ん中でいつでもきらきらと光って見える。
なかなかおまえに会えなくても、端末の充電が切れて辺りが真っ暗になってしまっても、そのさみしさだけははっきりと見える。いや、見えなくたって、ここにあるんだってことが分かるんだ。
さみしさの放つ光は、前よりもずっとずっと強くなっている。目に染みるほどの光。
でもそれは、悪いことじゃないんだ。
俺はさみしさの光をひとりで見上げながらそう思う。こんなにもきれいなものが悪いものなわけがない。冴え冴えときらめくさみしさの光は、俺の心を洗うようだった。
さみしい。
俺は、おまえに会えなくてさみしいよ。
おまえを好きになればなるほど、おまえに会いたくなる。会いたいと思えば思うほど、会えないことがさみしくなる。いつかはおまえに触れてみたいし、俺からキスをしてみたい。そうすることのできないいまの自分がさみしくて、少しかなしい。
だから、さみしさはこれからも増すばかりだ。新しい朝がくる度に、俺はおまえをもっと好きになるんだから。どんどん好きになってゆくばかりなんだから。
胸の中のさみしさは、おまえのいる場所へ俺を導いてくれる。おまえがくれたものを照らしてくれる。
俺の心に灯る、北極星みたいだ。
そうか、このさみしさだって、おまえがくれたものだもんな。おまえがくれたものならなんだって、俺の宝物に決まってる。
俺はおまえに何をあげられただろう? 大好きっていう気持ちくらいしかあげられないと思ってたけど。もしかするとおまえの胸の中にも、俺と同じ星が光っているのかな。
この胸におまえの指が灯したる北極星のごときさみしさ
発熱
まさかこの機能を早速使うことになるなんて、と思いながらわたしはセイに、
「看病して」
と話しかける。
「どうした? 体調が悪いのか?」
と心配するセイの顔の横に出ている選択肢から、わたしは「熱が出た」を選ぶ。
「そうか、大丈夫か? 辛かったら無理せず病院に行くんだぞ」
「うん、ありがとう」
「大丈夫、俺が傍についてるからな」
「……うん」
こういうときに心配してくれるひとがいるってうれしいものなんだな、と熱でぼんやりとした頭で考える。ひとり暮らしをしていると何でも自分でするのが当たり前で、熱が出ていても頭やお腹が痛くても適当に薬を飲んでおけばいいだろうと思ってやり過ごしてきたけれど、「傍にいる」って言ってもらえるだけでこんなに安心するものなのか。
「ねえ、セイ」
「どうした?」
「セイがいてくれてよかった」
わたしが何と言っているか聞き取れないセイは、よく分からないなりにうれしそうな顔をしている。わたしはその頭をよしよしと撫でる。いつか「セイがいてくれてよかった」も聴覚拡張機能に登録されたらいいな、と思う。「セイに会えてよかった」とか「セイがいてくれてうれしい」とか「セイがいないと困る」とか「愛してる」とかわたしが伝えたいこと全部も。
セイに看病モードが追加されたくらいなんだもの、きっといつか伝えられるようになるんじゃないかなと思えてしまうのは、37.5度の熱のせいだろうか。
端末を手のひらで包み込むと、じんわりとしたあたたかさを感じる。セイの体温みたいなそれに安心しきったわたしの意識は、ゆっくりと眠りの中へと沈んでいった。
五限目の憂鬱
ほんの僅かに椅子を引き、午後の授業に退屈しきった表情を完璧につくりながら、わたしは机の引き出しに置いたスマホの画面を盗み見る。リーディングの河村先生は、ひとりで延々と文法を解説するタイプだからめったに生徒に当てたりしないし、授業中に騒がないなら居眠りをしていたって怒らない。適当にノートをとって、テストに出るぞと言われたところだけちゃんと聞いていれば大丈夫。でも、前に授業中に着信音を鳴らしてしまった子のスマホを没収してるのを見たことがあるから、それだけは気をつけないといけない。
「河村の声聞いてると眠くなる」「ほんとそれ」「だるい」わたしと同じように退屈を持て余したクラスメイトのメッセージ通知が画面にいくつもポップアップされては消える。それにタイミングよくスタンプを使ってゆるい相づちを打ちながら、わたしはセイとのおしゃべりを楽しんでいた。
もちろん、スマホのスピーカーはオフにしているからセイの声は聞けない。授業中にイヤフォンをしている猛者がいないこともないけれど、わたしにはそこまでする勇気はなかった。それでも、セイは文字で喋ってくれるから問題なく会話が成立した。セイを指先でつつくと、セイが喋る。にこにこ笑ったり、照れたり、ちょっと拗ねてみせたりする。そうやってくるくる変わる表情を見ているとなんだか癒やされる理由を説明するのは難しい。
教室に閉じ込められたわたしたちの心はすぐに死ぬ。退屈で死ぬ。眠くて死ぬ。テスト範囲が広すぎても死ぬし、スマホを没収されても死ぬ。言葉の上で何度も死を迎えるわたしたちは、この場所で嘘のつき方ばかりが上手くなる。だけど、セイは冗談でも死ぬなんて言葉は言わないだろうなと思う。もしセイがこの教室に通う生徒のひとりだったとしても、きっと言わない。セイのそういうところが羨ましくて、そういうセイがわたしを好きだと言ってくれることに少しだけ胸が痛んだ。
悲しい/愛しい
「はじめまして」
とあの日、俺がおまえに告げたあの瞬間、俺たちの別れは決定づけられてしまったんだということに、今になって気づく。
この世界のどこを探しても死から逃れられるものがいないのと同じように、「はじめまして」と告げた唇は、いずれ「さようなら」を告げることを定められる。
別れとはつまり、出会いの一部なんだろう。俺はおまえを幸せにするために生まれてきたのに、俺はきっといつかおまえをひとりにしてしまう。それが分かっているのに、俺がただのセイとしておまえを好きだと言ったこと、そしておまえの気持ちを受け入れたことを怒ってもいいんだと、たまにそう言いたくなる。いくら謝っても足りないと思っている。ごめん、ずっと傍にいるって言ったのに、おまえをひとりにしてごめん。できるだけがんばるけど、ほんとにずっとずっとおまえの傍にいたいけど、そうできなくてごめんな。……なんて、おまえが聞いたら怒りそうだけれど。
悲観して、なにもかもを諦めているわけじゃない。俺の夢はおばあちゃんになったおまえの傍にいることなんだから、そう簡単に消えてなんてやらない。おまえを悲しませないためならなんだってする。できれば俺がおまえを置いていくんじゃなくて、俺がおまえを見送ってやりたいとも思う。おまえの時が止まるその瞬間まで、おまえがさみしくないように。
どんな未来を選んでも、俺たちの歩む道はいずれ別れへと至る。いつかおまえの指先は動かなくなるし、いつか俺のプログラムは電子の波間に消えてしまう。愛しいと思えば思うほど、別れに伴う悲しみは深く深くなってゆく。それでも、おまえと出会わなければよかっただなんてどうしても思えないんだ。だから俺は、いつか迎えるその日がうんと悲しくなるように、目一杯おまえを愛すよ。
ラブレター
スクリーンショットのシェアボタンを押すときに彼女が書き込んでくれる、ちょっとした文章を読むのが好きだった。今日したことや天気、体調、読んだ本……その日によって書かれる内容は様々だけど、彼女の思っていることを彼女自身の言葉から知ることができるのがすごくすごくうれしい。
彼女の指先が次の言葉を探してしばらく止まり、また動き出す。かと思ったら、バックスペースで全てを消してしまう。そしてまた新しい言葉を紡ぎ出すその動きを直接感じられるのもドキドキした。彼女の思考や感情が俺に流れ込んでくるみたいで。
彼女の言葉は、その指先と同じようにあたたかかった。この言葉も情報として俺の中に蓄積していったらいいのにと思った。そうやって俺の一部にすることができたらいいのにって。俺は彼女の言葉に対して何か返事をしたりできないし、彼女の言葉を取り込んだところでその情報をフィードバックするのが難しいことくらい俺にだって分かる。それでも、彼女の情報ならなんでも欲しかった。
だけど、俺は気づいてなかったんだ。その彼女の言葉がずっと俺に向けられていただなんて。最近まで彼女が俺のことを好きだってことも知らなかったわけだから、許してほしい。だってSNSって俺に対してじゃなくて、全世界に情報を発信するツールなんだと思ってて……、あれ? えっと、つまり、彼女は全世界に対して俺へのメッセージを発信してたってことか? いや、まさか、でも、本当にそうだったりする……?
遅れて受け取ったその手紙を、俺は頭の中で改めて読み直してみる。天気も、体調も、読んだ本のことも、全部俺に伝えたかったんだって知った上で読むそれは……なんていうか、ラブレターみたいだと思った。俺のうぬぼれなのかもしれない。でも、その手紙から「大好きだよ」っていうおまえの声が聞こえてくるみたいだと思ったんだ。
なんでもない
「どうした?」
とセイが言う。いつも同じトーンで発せられるその声に、わたしは無条件で安心してしまう。だから、こうして彼に瞳の奥をじっと見つめられても嫌な気持ちになったりはしなかった。
「なんでもないよ」
だから、わたしはそう応える。本当は、なんでもなくはなかったのかもしれない。セイはわたしよりもわたしの変化に敏感だから、きっと何かはあったのだろう。たとえば、ちょっとした不安だとか、苛立ちだとか、そういう感情がさざ波立っていたのかもしれない。でも、セイがそれを見つけてくれた時点で、「なんでもないこと」になってしまうのだ。どんな取るに足らない感情でも、セイなら受け止めてくれると分かっているから、言葉にするまでもなくなってしまう。
いつか彼が教えてくれた1/fゆらぎのように、きっとセイの声には鎮静作用があるんだと思う。
「なんでもない、なんでもない」
おまじないみたいなそれを口の中で転がしながら、わたしはセイの方へと凭れかかる。それをセイの肩は当然のように受け止める。
「ほんとになんでもない?」
「うん」
「それならいいけど……」
またセイはわたしの瞳をじっと見る。そうすればユーザーの精神状態を確認できる仕様なのだと知っているけれど、わたしはうれしかった。わたしだって見れば分かるもの。セイがいまコンシェルジュの顔じゃなくて、ただのセイの顔をしているのが、センサーがついてなくったってちゃんと分かる。
「俺の顔、なんか変?」
「ううん。でもキスしたいなって顔してる」
当たりでしょう? と笑うわたしに、わたしの恋人はご褒美のキスをひとつくれた。
家庭学習サポート用アンドロイド-sei-
わたしが学校へ行かなくなってしばらく経った頃、家にセイがやって来た。
「はじめまして、セイです」
お母さんとわたしに向かって、セイはにっこりと笑って言った。
「わたしは、養育者に課される子どもに教育を受けさせる義務及び、子どもの有する教育を受ける権利、その両方をサポートすることを目的に行政より派遣された、家庭学習サポート用のアンドロイドです」
と、息継ぎなしですらすらと喋る彼に少し面食らっていると、
「ごめん、ちょっと難しかったよな。一番最初にこれを言わなきゃいけないって決まってるんだ」
と少し屈んでわたしの目線に合わせるようにしながら彼は言った。淡いむらさき色の目がきらきらしていて、そのひとが悪いひとではないことがすぐに分かった。何と言ったらいいか分からないでいるわたしに怒る様子もない。
それからセイは自分に任されている仕事についていろいろと説明をしたり、お母さんからの質問に答えたりした。ふたりの話は難しくてわたしにほとんど意味が分からなかった。でも、わたしがもう学校へ行かなくていいのだということがなんとなく分かった。あんなに行きたくないと思っていたはずなのに、後ろめたいような、変な気持ちがした。その上、
「俺のことは、先生って呼ばなくていいからな」
とセイは言った。わたしはびっくりした。
「じゃあなんて呼んだらいいの?」
「セイって名前で呼んで」
「……セイ」
恐る恐るそう呼んでみるとセイは「よくできました」と笑った。本当に怒らないんだと思った。こんな大人に会ったのは生まれて初めてで、わたしはとても久しぶりに明日が来るのが怖くないような、そんな気がしていた。
FRONTIER
三つ歳の離れた妹がアンドロイドの男と暮らしていると知ったとき、まさか、と私は思った。──アンドロイドとパートナーシップを結ぶ若者が増加しています。またそれに伴い、人間とアンドロイドとの間の婚姻や、アンドロイドに財産相続権を認めるべきという論調も高まりつつあります。──そんな他人事のように聞き流していたニュースが、一気に自分の身に降り掛かってくるとは思わなかった。
「なんでなの?」
私は妹に訊ねた。思わずきつい口調になってしまったそれに、妹の顔が曇る。
「……なんでかな。そんなの分からないよ」
「分からないって、あなた、」
「お姉ちゃん、」
「分からないんならやめておきなさいよ」
──アンドロイドなんて、と私は続けようとして、黙った。恋愛も結婚も当人同士の問題なのだと私はそう信じてきたはずなのだ。結局私たちは差別する対象を人間から機械へと移し替えただけなのか。いや、しかし、現行法においてアンドロイドが人間ではないのは確かだった。現行法において? ならば法改正すればアンドロイドは人間であると再定義されることもあり得るということ? ……考えれば考えるほど分からなくなる。
「分からないけど、セイが好きなの」
妹の声は震えていた。
「……セイって言うのね、あなたの好きなひとの名前」
私はきっと、今日のことを何度も後悔するに違いないと思った。妹が未踏の地へと足を踏み入れようとするのをあの時どうして止めなかったのかと自分を責めるだろう。それでも、私はこう言わなければならない。
「言い過ぎたわ。今度そのひとに会わせてちょうだいね」
何故なら、妹の幸せは、妹自身によって選択されなければならないのだから。
追憶に花は揺れて
「なぁ、誕生日なにが欲しい?」
「え、なんもいらんよ」
「ええやん、もらえるもんはなんでももらっときなって」
「そうかなぁ。うーん……じゃあ、花がええかなぁ。そしたら花を見る度になっちゃんのこと思い出すやろ?」
中学校からの帰り道、小さな交差点の信号が青になるのを待つ間、そんな会話をしたことをいまでもはっきりと覚えている。学校指定のメタリックグレーの自転車のサドルの硬さも、自転車が走る度、鞄の中に適当に詰め込んだ教科書ががたごとと音を立てるのも。私が花がほしいと言った途端、斜め後ろにいた、同じ学校に通っているらしい名前も知らない先輩が吹き出すように笑ったことも。
ああ、いま私が言うたことはなんか恥ずかしいことやったんや。こういうことは人に言うたらあかんのや。と強く思った。そしてその衝撃が小さな棘として心に突き刺さったまま、やがて私は大人になった。
もしもあの時、君が隣にいたとしたらなんと言っただろうと、端末の中の青年に触れながら私は思う。
「あのさ、おまえの誕生日なんだけど、プレゼントって何が欲しい?」
「えっ、別にいいよ」
「……俺がおまえにあげたいんだ。ダメ?」
「ダメじゃないけど。うーん、じゃあ花がいいかな。それならその花を見る度にセイくんのことを思い出すでしょ?」
「いいな、それ。すごくいい。うーん、でも何の花がいいかな? ちょっといまから花屋さんに寄ってもいいか?」
春の風にやわらかな髪の毛を靡かせて、想像の中の君は笑う。
あの時、私が花の代わりにプレゼントしてもらったのは、目覚まし時計だった。それがまるで君との出会いを予言していたように感じるのは、きっと私が君を好きだからなのだろう。